『陰陽師は鬼になった』ということは、京極堂は? 魍魎の匣 第10話 「鬼の事」 の感想です。
『鬼』についてのうんちくを聞いていて、高田崇史の『QED 式の密室』を思い出しました。 QEDシリーズも、オカルトがらみのうんちくを織り交ぜつつ論理的に推理するという内容であり、京極堂シリーズと似たところがあります。
これによると、鬼とは『時の権力者(朝廷)に逆らった人間』とされています。逆らったやつらを鬼(妖怪)と決め付けて成敗したと。最初に鬼と呼ばれたのは、たたら場(古代の製鉄所)の人々でした。彼らは大陸から渡ってきて、技術力を背景にして朝廷の言うことを素直には聞かなかったので目の敵にされたのですね。そういえば『もののけ姫』もたたら場と権力者との争いでした。鬼の武器である鉄の棍棒は製鉄の道具というわけです。
QED 式の密室 (講談社ノベルス)その鬼を成敗したのが陰陽師ですが、陰陽師が力を持つようになると、やがて権力者から疎んじられるようになったのでしょう。京極堂は『陰陽師は権力から遠ざかると、その身に穢れを引き受けた代償として鬼になった』と言いましたが、この場合の穢れとは権力者(朝廷など)の不信であり、それによって『鬼』と認定されてしまった、ということでしょうか。
かくして陰陽師は公的な地位を失い、民間で細々と憑きもの払いなどするだけの、いわばアウトサイダーになってしまいます。京極堂は自らが鬼でありアウトサイダーであると思っているのでしょう。彼が殺人事件など血生ぐさいことに惹かれ、事件の方も彼に近寄ってくるのは、陰陽師が背負う『穢れ』ゆえなのかもしれません。
今回は解決編かと思わせておいて、ラストにどんでん返しが。久保の小説が日記だとすれば、久保に『匣の中の娘』を見せた人物がいるはずなんですよね。アレそのものは象徴的なもので実在しないのかもしれないけれど、なにかキッカケはあったはずということです。その人物が怪しいのでしょう。
加菜子の事件については、京極堂は真相を追求する必要は無いと言っていましたが、あの歯切れの悪さからして、犯人に同情しているとかなのでしょうか。 加菜子はやっぱり死んでいるのかな。頼子の死亡が確定して残念。
京極堂が兵衛を追い詰めていくシーンは痛快で、これがこの作品の魅力なんだな思いました。久保のプロフィール(福岡や伊勢に住んでいたこと)など、推理に必要な情報が視聴者に開示されていないのはアンフェアとも思いましたが、そんなことを気にする作品では無いのでしょう。
京極堂は兵衛に、「生兵法で憑き物落としをやっていると、いずれ自分が憑かれてしまう」とさんざん脅していましたが、これは脅しであって本当に魍魎が迫っているわけではないと思うのですが、どうでしょうか。これが京極堂スタイルの『憑き物落とし』なのかなと思ったりします。
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>魍魎が迫っているわけではな
>いと思うのですが、どうでし
>ょうか。
原作だと、脅しのための嘘半分、本気の警告半分だったと思います。
本物の怨霊や妖怪がたたるわけではないですけど、そうした儀式や行為をする事で「病は気から」「鰯の頭も信心から」的に行動や精神状態へ影響が出るという意味では、現実に効果があるということ。
妖怪小説なのに妖怪出ませんかw。そういう人を食ったところも、この作品らしいのでしょうね。
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■e・turanさん、コメントありがとうございます!
なるほど、そういう「病も気から」的な『憑き物』を払うのが、京極堂のやり方ということなのでしょうね。そのために必要であれば霊能者のふりもすると。