前回の『高い塔の女』と対になるような話ですね。美しいものを伝えようとした2人の間で、何が違っていたのか。キャシャーン sins 8話 「希望の賛歌」 感想です。
どちらも思いは同じのはずです。塔の女性は、美しい音色の鐘を作れば人々の心に届くはず、と考えました。でも、滅びの世界でモノにこだわったのが敗因でしょう。モノは滅びてしまうから、たとえそれが美しくても励みにはならないでしょうし、ましてや、滅びの世界で美しいモノを作るのは困難だったのです。
一方で、ジャニスは歌によって『魂の美しさ』を伝えようとしました。それは人々に届いたようです。
ジャニスの回想シーンに出てきた尼さんが、『天使にラブソングを』のウーピー・ゴールドバーグに見えて仕方ありませんでした。コメディですが名作ですよ。シスター・メアリー・ロバートには萌えます。それはともかく、この映画も歌の力によって人々に勇気を与えるというメッセージがあり、歌をテーマにした作品はみんなそうですね。確かに歌には力があるのでしょう。魂を伝達するプロトコルとして優れた実装なのでしょう。
余談なんですけど、英語の成句で"face the music"というのをご存知でしょうか。直訳では「音楽の方を向け」ですが、正しくは「(勇気を出して)困難と向き合え」です。由来については諸説あるようですが、"music"がそういう意味になるのは興味深い。ジャニスの歌を聴いた人々は、困難に向き合う勇気が得られたのでしょうか。
ラストの戦闘シーンは壮絶でした。キャシャーンは殺すために生まれた存在で、彼はそのことに苦しんできましたが、ジャニスを守るために戦ったことは、彼にとって救いになったことでしょう。しかしそれもまた失われて、キャシャーンは目的の無い旅に戻ったようです。彼に目的地はあるのでしょうか。
この物語に出てくる女性(型ロボット)は、みんないちいちエロいですね。まぁ、滅びゆく世界で、健康な男女がいれば、やることはひとつという気はしますけれども。終末世界が本質的に内包している淫靡さなのでしょう。
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歌は勇気を与える
と書かれてますが
私は「め組の大吾」の
不幸の中で必要とされる力
に影響されてか
勇気を与えるの裏側にある不幸重視で見てました
最後のシーンは英語ダメなんで映像から勝手に
歌(希望)は不幸の中でこそ輝いて見える
歌うのは不幸を願うのと同じ
だから、私もあなたと同じ不幸の上に立つ存在
でも、(最期まで)立ち続ける
まだ立っている人がいるからまだ倒れられない
(自分よりきつい人が頑張っているのに先に倒れるわけにはいかない)
逆に言えば、
立っているあなたが私(達)の支え
だから、たとえ困難な道でも進んで
立ち続けるから 立ち続けて
てな感じかなと
脳内誤訳して見てました。
それと
やることはひとつでも
男の方が(外見が)ロボットっぽいのが多いのが原因では?
この世界では「ちょびっツ」の世界ほど男性型の需要がなかったのでは?
そのせいで機能面(人間的な思考の発展過程)での問題では?
(恋愛に近い感情はあってもその先は…なのではないでしょうか)
長くて済みません
曽田正人さんの作品は、シャカリキ!やCAPETAは読んでいるのですが、大吾はまだ読んでいません。そのうち読みたいと思ってます。
音楽の解釈は面白いですね。音楽が辛い状況を象徴しているというケースはあるのでしょう。労働歌とかもそうかもしれません。
淫靡云々は、終末世界にはつきものであって、ロボットであってもその空気からは逃れられないのだなぁ、と思ったのでした。実際の行為には及ばないとしてもですね。
メルクマールさんの文章は,単なる感想やあらすじのまとめではなく読みが深くて,感服いたしました。
キャシャーンSinsは,一話完結で,いろんな人と出会いつつ,物語の核心へ迫っていくという描き方なのかなあとおぼろげながらつかめてきました。
なんとなく懐かしい感じがしますね(999とか009とか昔のアニメはそうだったなあと思い出します)。
旅をして、いろんな人と交流しながらストーリーが進行するという、いわゆるロードムービー形式の作品ですね。確かに、999とはちょっと似た感じがあるかもしれません。