『群像劇』とはつまり、人間関係の『最適化問題』であり、いまはまだ『部分最適化』の状態なのでしょう。ef - a tale of melodies. 第7話 「reflection」 の感想です。
『アニメレビューCrossChannel』さんが、 この物語の登場人物を『自己愛に満ちた嘘つきたち』と評していましたが、言いえて妙だと思いますね。みんな自分大好きで、基本的に自分が気持ちよくなる(傷つかない)ために行動しており、今回はそれを特に感じました。優子と天宮兄は言うまでもありませんが、火村もそうですね。優子の告白にショックを受けて、天宮兄のところにナイフを持って押しかけたけれど、兄を殺したら優子がどうなるかまでは考えていない。単に自分のショックを他人に転嫁するために、ああいう行動に出たわけです。安っぽい正義感というのは自己愛にすぎません。
久瀬も、人あたりのいい仮面を捨てて、ミズキを容赦なく傷つけていました。ミズキを遠ざけていたのは、ミズキのためというよりは、自分の覚悟を鈍らせて欲しくないからでしょう。自分が死んでも行き続ける存在への妬みもあるようです。
ミズキにしても、「また、あの夢を見そう」とか言っていて、なにかトラウマがあるようですが、自分が傷つきたくないから久瀬との関係を修復したいという思いが強いんじゃないでしょうか。
いわゆる『社会性』とは、自分をいくらか犠牲にして他人や集団のために行動することです。それにより人間関係や社会が良くなり、広い目で見れば自分のためになるわけです。こういうのを『全体最適化』と言います。個々が一番良くなることだけ考えている状態は『部分最適化』です。
群像劇とは、人間関係を『全体最適化』する過程を描くドラマなのでしょう。例えばefの1期で言えば、景にとっては紘に振られたので最適とは言えないですが、景が身を引いたことで、群像劇全体としては一番落ち着いた状態になったわけです。
2期は、まだ『部分最適化』の状態にはまっていて、みんなが『自分が傷つかないために他人を傷つけている』状態です。だから見ていて痛々しいのは仕方ないでしょう。ここからどうやって全体最適化に持っていくのかが勝負です。今は辛いですが、ここからがドラマの真骨頂なので期待したいと思います。なにか人間関係を揺さぶるような事件が必要だと思うのですが。最適化問題を数学的に解く場合、部分最適解に落ち込んだ状態から脱出するために、変数を揺らすのはよくやるテクニックで。
前回のレビューで、優子の告白は火村への『復讐』だろうと書いたのですが、今回優子の口から語られていましたね。ただ、僕はあのナイフは自殺するためだと思っていたのですが、天宮兄を殺すためでしたか。考えてみれば『自己愛に満ちて』いる人にとって、自殺は選択肢じゃないのでしょう。
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記事を何度も読み返しましたが、切り口が違うとこうも違った見え方になるのですね…。私はまだまだキャラクターの本質をつかみきれていないなと痛感します(汗
>ここからがドラマの真骨頂
たしかに何かしらの事件も起こるでしょうし、後半の展開に期待ですね。
優子が救いを求めればよいのですが、それは簡単そうで難しいのでしょうね。拒絶されることで決定的に傷つくのが怖いのでしょう。それよりは憎んだ方が楽なのです。
文字や言葉で表せないことを表現してくれて、
なおかつ、新しい考え方の切り口を教えてくれるので、感謝しています!
私も、もっとボキャブラリーが欲しいです。
叙情的なこの作品を、理系ワードで解説するという奇天烈な試みだったのですが、面白いと思って頂ける方がいてよかったです。感想どうもありがとうございました!
「全体最適化」が必ずしも「みんなニコニコハッピーエンド」ではないとはわかっているつもりですが、落ち込まされた分、大規模なカタルシスが欲しい……。
つい先ほど「true tears」を見終えたばかりで(これまた身悶えするほど面白かった)その落差と相まって深夜のコメント投稿となってしまいました。失礼いたしました。
僕はもう、痛さが振り切れて飽和してます。1期は家庭環境や障害のトラウマでしたが、2期は暴行と死ですから。あまりに痛いです。
5話の感想に書いたのですが、完全なハッピーエンドは無いとしても、『絶対値的には不幸せだけど微分的には幸せ』な結末はありえるのかなと思っています。
http://merkmals.blog31.fc2.com/blog-entry-555.html
true tearsは名作ですよね。あれも全体最適化の話で。
「人間関係の最適化問題」、ナルホドです。
7話は雨宮兄の壊れっぷりが良かったんですが(対比となるヤング夕のダメっぷりがはっきりして、尚)、これはリアルの次元で自分のカノジョが強姦されたときの対応をどうするか、に置き換えて考えると夕を笑ってばかりもいられない。自分は夕程度の覇気も持てないかもしれない。シャフトやminoriがそこまで考えて、優子にこうした背景を背負わせたのかはよくわからないけど。
個人的には今話はミズキ&久瀬編の方がより気にかかりました。EDでは久瀬ばかりかミズキまで消えてましたし。
久瀬の、ミズキへの責め文句とその後に続く生きることへのあがきは、そのまま前回の優子の長台詞の対のようでもあり、そして答えのように思いました。でも、前回の優子は「嫌」とはいっても「助けて」と言っていない。やめてくれ、といってさらに酷くされた、という絶望があるのみで。久瀬は今回、ミズキが去った後で「助け」を求めました。優子も、助けを求める自分自身に気づいたときに(鏡を見ていた辺りではその可能性高そう)絶望は底を打って、物語は上向きになるのではないでしょうか。ブランコ、10年後にはみやみやが揺らしていたな~とか、それも何かの伏線になるのかならないのか、などいろいろあれこれ気になりますが。
火村夕については、あの年代の少年にあれ以上のことができるかというと現実的には難しいのでしょう。たしかに行動力はあった。でもいくつかの選択肢の中で、ほとんど最悪の行動を選んだわけで、ここから火村が浮かび上がるのは何かキッカケがないと難しそうです。
救いを求める人がいて、救いを与える人がいて、それらがうまく嵌れば最適化完了ということになるのですが、心に鎧をまとった人々にとってはそれさえ難しいことなのでしょう。
ブランコは、確かにそうですね。海辺の杭に結ばれたリボン?も気になります。何かの伏線なのかどうか。