1話ではグロテスクな描写ばかりが印象に残り、設定的にも「よくあるディストピアもの」と看做していたのですが、この作品の楽しみ方がわかりました。 PSYCHO-PASS サイコパス 第3話 『飼育の作法』 のレビューです。
典型的な『ディストピアもの』ではありますよね。 秩序正しい、一見理想郷のような世界だけれど、人々は管理され、特に犯罪や反乱の芽は厳しく監視されて社会から取り除かれる『警察国家』になっています。 ディストピアものの金字塔である『1984』では、言語そのものを「自由」や「平等」といった概念が無い言語に作り変えてしまい、それ以外の言語を使っていると重罪として取り締まるという社会を描いていました。
この作品の世界では、言葉として表現しなくても、脳内で(社会体制にとって)危険なことを考えただけで、セラピーという名目の思想矯正をされるようです。 『1984』よりももっと悪いと言えるでしょう
ディストピア物では、たいてい主人公は最初は体制側で、でも次第に体制に疑問を持ち始め、やがて反体制側に転びます。 この作品でも、ヒロインの朱は公安警察というバリバリの体制側ですが、社会のありように疑問を持ち始めているようです。
ここまでは良くあるのですが、犯罪傾向があると判定された『潜在犯』が刑事をしているというのが、この作品の面白いところですね。 宜野座は執行官を”猟犬”と呼び、刑事とは認めていないようですが、執行官たちは刑事(デカ)のつもりだし、朱もそのように扱っています。
人間には生来、闘争本能があるわけですが、体制側としては闘争本能が強めの人は潜在的に危険なので、早めに見つけて矯正されるのでしょう。 でも刑事には闘争本能が必要なので、監視付きでその職に就くことが認められていて、それが『執行官』なのではないでしょうか。 だとすると、なんとも悲しい存在です。
総監督の本広克行氏は、『踊る大捜査線』などを手がけた警察物のスペシャリストということなので、この作品は体制に真っ向から対立するディストピアものというよりは、この体制の中で刑事(デカ)たちがどう生きるかという、刑事物になる気がします。
Wikipediaの本広克行氏の項目を見ると、そもそもアニメオタクで、『踊る大捜査線』は『機動警察パトレイバー』の影響を受けているそうです。 つまり、アニメの影響を受けた実写の監督がアニメを手がける、という逆輸入の構図なんだな。
パトレイバーは大好きですし、攻殻機動隊のような『未来の警察』の設定は、いろいろカッコよくできそうに思えます。 実際、ドミネーターはとてもかっこいいですね。 今回の『ドローン』は、フチコマを思わせました。 「よくあるディストピアもの」と片付けるのではなく、刑事物として楽しみたいと思います。
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「アニメを見ただけでは気付かないかもしれない、違った見方を提供する記事を目指しています」と言われる通り、なるほどと思える感想でした。
1話では、主人公が執行官を撃ってしまったところでなんて現実を知らない監視官なんだと思いました。ナイーブ(世間知らず)すぎる。
現場に出る前に研修を受けてるだろうと思いました。
2話、3話と見て、主人公が体制に疑問を持ってこの世界を変えようというものかと思っていましたが、メルクマールさんの感想を読み、「この作品は体制に真っ向から対立するディストピアものというよりは、この体制の中で刑事たちがどう生きるかという、刑事物になる気がします」という部分なるほどと思いました。
1話では確かに僕も、このヒロインはどうなんだろうと思いました。でも2話3話と見ていくにつれ、経験豊富な刑事たちの対比として必要なキャラだと思えるようになりました。彼女の成長物語でもあるのでしょう。