この作品は、グレッグ・イーガンばりの深い『仮想空間もの』なのかもしれない。 ソードアート・オンライン 第11話 『朝露の少女』 のレビューです。
結婚したと思ったら、子供まで出来てしまったというお話。 いや、どう見ても子供ですよねアレ。 寝顔とかキリトにそっくりですし。 女の子は男親に似るといいますが。
以前にアスナが料理しているシーンがありましたが、本当に料理するわけではなく、包丁を持って料理するフリをするだけでした。 実際に料理しているのはシステムで、包丁はコマンド入力に過ぎないわけです。
子作りもそれと同じで、夫婦になって一緒に寝ることで、さまざまな手順はすっ飛ばし、システムが子供を作ってしまうというのはありそうです。 ただ、もしそういうことが普通にあるのであれば、キリトやアスナは知っているでしょうから、特殊な現象なのでしょう。
これに絡んで、以前から感じていた違和感をまた思い出しました。 この世界の人物は、現実世界のプレイヤーによって操作されているアバターという設定なのですが、それは本当だろうかと。 2年間も経っているのに、「ゲーム内で死んだら現実でも死ぬ」というデスゲームから救い出されないというのも妙な話です。 何千人も人質にされるというのは大事件で、とっくにサーバーは押収されているでしょうから、サーバーをいじってゲームを終了させることだって可能なはずです。 少なくともデスゲームを続けさせるよりは良いでしょう。
僕の仮説はこうです。 キリトたちプレイヤーは、本来は確かに人間でした。 でもゲームに参加したときに、脳の中身(ニューラルネットなどの構造)をゲームのサーバー内にコピーされ、そのコンピュータ上で動いている「人格」ではないかと。 つまり現実のキリトは普通に生活していて、この世界のキリトはコピーだということです。
グレッグ・イーガンのSF、『順列都市』で、主人公は普通に目覚めて、普通に生活していたのですが、ふと違和感に気づき、その正体が分かって絶望します。 彼は自分が、自分の意識をコンピュータにアップロードする実験を行ったのを思い出したのでした。 そして自分はコピーだと知ったのです。
そりゃショックですよね。 自分としては生身の人間の記憶を引き継いでいて、人間のつもりなのに、急に「仮想人格」になってしまうわけです。 元の体にも戻れないとすると、それはガッカリするでしょう。 でも一方で、コンピュータさえあれば永遠に生きられるわけなので、そういう意味では悪くないのかもしれません。
キリトやアスナに起こっているのは、要するにそういうことではないでしょうか。 それならば、誰も外から助けに来ないのも納得できます。 現実のプレイヤーは人質などではなく、もちろん死んだりもしていないのだから。
だとすると、アスナの「もし元の世界に戻れたら、私絶対にキリト君ともう一度会って、また好きになるよ」という言葉が、いっそう切ないですね。 元の世界に戻るためにがんばっている、キリトたちの存在意義にも関わってきます。
『順列都市』の続編と言える『ディアスポラ』では、すでに多くの人々が、脳をコンピュータ上にアップロードしている世界が描かれています。 その仮想空間では人は永遠に生きられますが、新しい生命が生まれることもありません。 そこで、さまざまな遺伝情報を集めて、新たな意識(生命)を作り出す実験が行われ、生まれたのが主人公のヤチマです。
ヤチマは最初は自意識も固まっていなくて、カタコトしかしゃべれないのですが、急速に学習していきます。 ユイの様子を見ていて、そのヤチマを思い出しました。 彼女はSAOのサーバーが生み出した、人工意識なのではないでしょうか。 そしてそれを生み出すために、優秀な素材であるキリトとアスナが使われたというわけです。 SAOそのものが、実は優秀な人工意識を生み出すためのシステムという仮説も成り立ちます。
「ずっと一人ぼっちだった」というのは、人工意識が生み出される子宮的なシステムに、ずっと一人でいたという意味なのでは。 そしてユイの様子がおかしくなったとき、仮想現実世界にノイズが発生していました。 彼女はここのシステムの根幹に関わっているのでしょう。
ただし、アニメでそこまでの核心に迫るのかは分かりません。 原作はまだ続いているようですし。 でも、単なるファンタジーの道具立てとして仮想現実を利用した、という作品ではなく、仮想現実ものの深い命題に、まじめに向き合った作品ではないかと思い始めています。
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間違えて別記事のTBを送ってしまいました。
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なるほど…
ところで素朴な疑問なんですがそもそもゲームに参加するための年齢制限はあったりするんでしょうか?
こういうオンラインゲームを含めて最近のゲームは血が出たり死を体感するようなシーンがリアルに表現されていると制限がかかりますよね
でも結婚システムがあり、子どもも生まれる
そして今回の子どもにプレイヤーアイコンが出ていない…
NPCでないならクリアした後はどうなるのでしょうか?
こう考えるとメルクマールさんの書いてることで合っているかもしれませんね
なるほど年齢制限ですか。確かにモンハンのようなザクザク切って血が出るものは、年齢制限があるのですが、SAOは血が出ないし、倒した(倒れた)時の演出もマイルドなので、その点では全年齢向けに見えます。
問題は、ナーブギアですね。脳神経に直接働きかけるデバイスを、脳が固まっていない幼児が使うことの安全性はなかなか保証できないと思われ、脳の成長が止まる「16歳以上」といった制約は付いていそうです。となると、ユイがプレイヤーというのは、やはり無さそうだなと思えますね。
グレッグ・イーガンの解はいいですね。
SAOの仮想現実が、そのままリアルに直結しているわけではないだろうとは、感じていました。
知人で、「オンラインゲームなのに、その結果次第で現実に人が死ぬ、という惨酷な設定に耐えられない」といって離脱した方がいました。
いま些しSF作品に通暁していれば、そんな早計もなかったろうと思うと、ちょっと残念です。
あと、茅場晶彦の意図というか目的については、オーソン・スコット・カードの某長編なども考えました。
でも、SAO⇒アクセル・ワールドという流れからは、外してる感がありますがw
>仮想現実ものの深い命題に、まじめに向き合った作品ではないかと
本当にそう思います。この作品、おもしろい!
その方が後になってガッカリするよりはマシでしょう
オーソン・スコット・カードっぽくなるのであれば、現実とリンクすることになりますが、どうなのでしょうね。
RPGの登場キャラが、実は自分たちはゲームのキャラであることに気づくという、某ゲームみたいなメタフィクションというのもちょっと考えました。
ある意味、どうにでもなる設定ではあるので、先はまだわからないですね。
■名無しさんコメントありがとうございます。
しょせんラノベだったという結末かもしれませんが、それはそれでアリじゃないですか。いろいろ妄想するのも楽しみのうちなので。今のところとても楽しめています。
ただこのアニメそのもので血が出ていない演出を見ているだけで実際は何か制限がかかっているような部分があるかもしれません。
実際最近のゲームは12歳以上のゲームが多いですし
それから人工生命についてですが、これをテーマにすると少し作品としてテーマが大きく変わってしまうようにも思えますし、何か伏線がないと不親切すぎるようにも思えます。
あとは最近クリアして絶対にもとの世界に戻らなければっていう危機感がなくなっているようにも思えるんですがどう思いますか?演出の問題ですかね?
2年もたてば仕方ないかもしれませんが・・・
人工生命は、そうですね。この作品は基本線はヒーロイック・ファンタジーでしょうから、人工生命を中心テーマにするのはやりすぎかもしれません。でもこのゲームが何のために存在するのかという理由としては、アリだと思えます。
危機感は、まぁ無くなるでしょうね。冒険は危険極まりなく、冒険しなくても不自由なく暮らしているわけで、まじめに攻略している人は一握りみたいです。
でも、「始まりの街」に思ったより人が少ないというのは、きな臭い話ですよね。今は嵐の前の静けさで、危機感を高めるようなイベントが待っている気がします。
それが出来ない構造になっているというのはどうでしょうか。
サーバーの仕事は始めの脳のスキャンだけだったとしたら。
脳のスキャンをしてキャラを作りだし、ゲームを完成させるのが仕事だったらどうでしょう。
そしてゲーム自体に入っていたプログラムは脳のスキャンプログラムと完成されたゲームのダウンロード機能だけ。
キリト達は自分の脳の中でコピーのアスナ達と遊んでいる状態。
全てのゲームが単体で動作してる状態。
ガンダムseedでの思想と同じです。
元は一つ(ウズミ)でも種を飛ばし、その種はまた別の種を飛ばす。
その全てを止めることなど気づいたときには不可能になっている。
ゲームが始まればもう製作者にも手が付けられないゲームというのはどうでしょうか。
多分現実での製作者はゲーム開始時刻にこう思ったのではないでしょうか。
種は飛んだ、これでよい、と。
そしてナーブギアの方も同じだった。フルダイブ専用という言葉から考えるならダイブのための扉の役割しかなかったのではないでしょうか。一度潜ったら本人が自力で戻ってくるまで外しても何しても意味の無いように出来ていたのではないかと思います。
だから助けることをあきらめざるおえなかったということなのかなと思います。
製作者は捕まりながらこういったんじゃないでしょうか。
君にならわかるはずだ、このゲームの名前はソードアートオンライン、この名前が何を意味するのか、言うまでもないな。
この舞台にアインクラッドという名を付けたのも私だ。何故この名なのかも君にはわかるはずだ。
と未来の鳳凰院凶真と同じように。
で、何言ってんだ的な捜査官に、
わからないのか…、でも私には分かる。一万人の私が何をするのか、そして彼らがどうするのか。ゲームの結末はちゃんと知っている。
そしてその姿を見ていたお偉いさんらの手によってその後の研究に繋がったのかなと思います。
ニューロリンカーでの通信では黒雪姫がハルユキのシステムに入って会話している感じに見えました。
あれももしかしたらニューロリンカーで軽めにスキャンした黒雪姫をハルユキのニューロリンカーに送り(もしかしたらサーバー上の黒雪姫をダウンロードして)リプレイ?しているだけなのかなとか思いました。
その辺が料理システムの簡素化なのだと思います。
キリトのシステム(脳)では料理システムを完全再現できないから簡素化された形で再現される。逆に、戦闘はほぼ完全再現される。
アスナの中のゲームでは料理システムがもう少しまともなゲームになっている。
キャシャーンsinでの太陽は何も与えない、ただそこにあるだけ、じゃないですが、世界はそこに在るだけ、何かを感じるのは脳だ、なら脳こそが世界というのがこの作者なのかなと思います。
全てがつながっているゲームに見せて本当はとんでもなく閉じたゲームなのではないかなと思います
実際に会話しているようで実は本人のコピーなNPCと会話しているだけだった。
とかなら本当に究極の仮想現実なのかなと思います。
人(の作り出した世界)が世界の速度と同じになる(超える)
そしてニューロリンカーやブレインバーストへと繋がっていくのかなと思います。
外部からのハックなどで救助を試みても、誰も100%の成功保証などできません。
多分そのような決断を下すのは警察やお役人の皆様でしょうが、僕ならやりません。
ゲーム内で死ぬ分には本人の失敗ですが、救助失敗で死亡となれば決断を下した者の責任ですからね。
非常に面白い発想ですね。確かに現実世界の情報が全く出ていないので、こういう可能性は否定できませんね。
ただどちらかといえば、アクセル・ワールドの加速のギミックを説明するのに有効なのではという気がします。
加速が始まるとサーバー内の意識に切り替わり、終了時に生体脳に書き戻すというような方法ですね。そうすれば生体脳に負担をかけずに済みます。その時に記憶を何処に保持するかで記憶のコントロールも可能かもしれません。
原作者さんは人工知能にも興味があるようで、SAOの最新巻では”ボトムアップ型”の人工知能の作成といったテーマが出てきます。
簡単に言えば、赤ん坊の魂のコピーをVRワールドで実際に育てるわけです。第一世代はヒトが親になり、第二世代以降はAIがAIを育てるのです。しかもそのプロセスを加速して。
もしかしたらこういったジャンルのSFがお好きなのかもしれませんね。
SAOはキリトの脳内にアップロードされて、脳をハードウエアとして動いているということですね。その発想はありませんでした。面白いです。
小説家でなくても、脳内でキャラを作って遊ぶことはあるでしょう。それを支援するシステムというのは、あっても面白そうな気がします。そういう観点でこの作品を見るのも面白いですね。
■GGGさんコメントありがとうございます。
SAOのシステムに介入することのリスクはあるでしょう。でも黙って見ていても、SAOによって人が死ぬのだとしたら、そのリスクよりもどちらが高いかということになります。
たしかに危険はあるでしょうけれど、2年も経っているだし、人が書いたソフトウェアなのだから、このまま確実に人が死ぬのを見過ごすよりは低いリスクで、介入できるのではと思えます。
■グッキーさんコメントありがとうございます!
そうですね、意識をコンピューターにアップロードして、さらにそれを脳にダウンロードして戻せれば、意識の加速が可能になります。アクセルワールドの仕組みですね。
その”ボトムアップ型の人工知能”というのは、まさにディアスポラのヤチマに近いアイデアですね。やはり、仮想空間での”意識”の問題がテーマとしてあるように思えます。