結局、聖杯とは何だったのか。 Fate/Zero 第25話(最終回) 『Fate/Zero」』 のレビューです。
最初に見た時は、聖杯戦争の決着がどうなったのか理解できませんでした。 切嗣とセイバーが最後まで残ったはずなのに、なぜああなってしまったのだろうと。 そこでもう1回見たのですが、切嗣が聖杯を破壊するために、令呪を2つ使ったのがポイントなのですかね。 命令の強制権という点では1つでも十分なはずですが、あえて2つ使ったのは、1つだと令呪が1つ残るので、自分が勝者と認定されて、聖杯が願いを叶えてしまうことを避けるためなのでしょう。 綺礼は死んだので、あの時点で勝者になる権利があるのは切嗣しかいないはず。 だから切嗣が令呪を使い切って聖杯戦争の参加権を失い、さらに念のため聖杯を破壊すれば、聖杯は誰のものにもならないはずです。
切嗣にとって誤算だったのは、なにかのはずみで綺礼が蘇ったことです。 確かに死んだはずで、生き返ったとは言っても心臓も動いていない状態ですが、なにはともあれ、最後に立っていて、令呪も残っている綺礼が勝者と判定されたと考えられます。
かなりインチキくさい判定ですが、そもそも聖杯というのがインチキくさいものなのでしょう。 『猿の手』という怪談があります。 猿の手に「金が欲しい」と願うと、事故にあって大怪我をして、その賠償としてお金がもらえたといったパターンで、確かに願いは叶えてくれるが、不幸な結末になるというものです。 聖杯は、その『猿の手』みたいなものに見えます。 切嗣はそれに気付いて聖杯を壊そうとしたし、願いを叶えた綺礼にしても、「こんなはずじゃない」と感じたようですしね。
聖杯には意志があるようなので、聖杯が無かったことにしようという切嗣の意図を知って、むりやり綺礼を蘇らせて聖杯戦争の勝者に仕立てたといのが、真相なのかもしれません。
結局、誰にとってもハッピーエンドにはなりませんでしたが、切嗣にとっては悪くない結末だったのかもしれません。 戦い続ける宿命から解放されて、士郎という家族も得ることができたのだから。 世界中のなるべく多くの人を助けるという彼の使命感は、強迫観念のようなものだったけれど、士郎がそれを受け継ぐと言った時に嬉しそうだったので、彼としては後悔は無いのでしょう。
セイバーと切嗣が、最後まで分かりあえなかったのが残念ではありました。 ゲームでは、そのあたりの後日談はあるのでしょうか。 セイバーのとっては、辛いだけの聖杯戦争でしたね。 この後続けて『Fate/stay night』のゲームをやるのが、きっと一番正しい楽しみ方なのでしょう。 携帯ゲーム機向けに出ないものかな。
全体として、素晴らしい作画と重厚な演出で、見ごたえのある作品でした。 ストーリはとてもシビアでしたが、時代掛ったセリフなどがカッコよくて、戦記物としても楽しめる作品だったと思えます。 いずれ小説も読んでみようと思いました。
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ご指摘ありがとうございました。
言峰が生き返ったのは、アーチャーが聖杯から排除されて受肉した際の余波で、むしろ聖杯にとってもイレギュラーな事態です。
じゃあ何故あんな災厄になったのかと言えば、聖杯の中に澱んでいたモノがこぼれ落ちた結果、というはた迷惑な話ですね。
その聖杯の中身やセイバーの行く末は原作をお楽しみに、と言いたい所なんですが……携帯機移植は遠そうですねぇ(苦笑)
zeroを見た後にstay/nightを見ることで改めて理解できることがあるのかもしれません。
メルクマール様の記事で特に好きなのが、期毎の評価まとめと次期視聴予定の記事です。
今週末から始まる夏アニメの視聴予定の記事が読みたいです。
お手数ですが御検討お願い致します。
多分、聖杯とはこの物語の作者だったのではないでしょうか。
勝利の条件について色々書かれていますが個人的には勝利条件は無いのだと思います。
聖杯はその気になればマスターを蘇らすことも、参戦する権利を与えなおすことも自由です。
そこから考えると勝利条件は
聖杯は現れる時にその場に居合わせたもの
もしくは、聖杯(世界、神)に気に入られたもの
というあってない様な条件が勝利条件だったのではないでしょうか。
それがギルガメッシュの言った
天意であり、不条理なのだと思います。
龍之介の言った通り、神様はノリノリで世界のシナリオを書いている。
そして「お気に入り」が生まれるとその者の前に聖杯を与える(聖杯の作り方を発見する”第一次”、聖杯が作れる条件を揃える”第四次”)
神の気を引くための
神に容赦ないツッコミを入れる
ための儀式が聖杯戦争だったのだと思います。
つまりは神の気を引けるのなら、聖杯はおろか聖杯戦争すら必要の無いものだった。
そして、成功したならば報酬が与えられる。
この作品の名前のある登場人物は全て少なからず報酬は受け取ったのだと思います。
中でもお気に入りは
龍之介だったのだと思います。
最後に自分の存在を示したのは
綺礼を救いたかっただけではなく
龍之介やジルドレイへの弔いもあったのかなと思います。
雁夜は哀れな結末と捉えるの大半なようですが、あれが彼への救いだったのだと思います。
今まで、助けるうんぬん、本当の願いから逃げ続けてきた彼ですが最期に本当の願望を見つめることが出来た。
彼の本当の望みはあれだった。
でもあの望みを見れば、かつて身を引いた(逃げた)自分を見なければならない。それから逃げるために、桜を救う、という口実をつくった。
でも最期にはそれらと向き合うことが出来た。
それは神が与えた答え合わせの機会。
桜がこれからも絶望の中なのかどうか。
キャシャーンsinで
絶望の中で希望を疎ましく思う人々が描かれましたがそうではないことを雁夜は最期に理解したのだと思います。
人は絶望の中でも希望を見出しそれに手を伸ばすことが出来る
己の欲望を見つめることが出来る
だから、桜もいつかは自分の意思で自分の夢(欲)を叶える(満たす)
そして、自分が必要ないことを悟った上で逝けたのだと思います。
勝者無しってことなんですかね。ギルガメッシュは「我々が勝者だ」と言ってましたが。
それが嘘、あるいはミスリード狙いだとしたら、ただでさえ分かりにくいのに、ますます分かりにくくて困りますね。
■鮭茶漬けさんコメントありがとうございます!
これはいわゆる前日譚ですからね。単体でそれなりに楽しめるだけでも、たいしたことではあるのでしょう。だからゲームをやりたいのですが、一般向けはPS2版しかなく、いまさらそれはしんどいので、今風のハードで出してほしいところです。
■MNRSさんコメントありがとうございます!
楽しみにして頂いていると言って頂けるのは嬉しいです。ぎりぎりになってしまいましたが、視聴予定一覧をアップしましたので、ぜひご覧ください。
■野良猫さんコメントありがとうございます!
聖杯は意志をもっていて、とても意地悪で、強引に物語に決着をつけてしまったので、「聖杯は作者」というのもなんとなく納得できる意見ですね。
「魍魎の匣」の、「私は恐れている、物語を終わらせる物の登場を」というセリフを思い出しました。
なんでも、アニメパートはこの作品の制作会社である、UFO Tableが担当するそうですね。