王だからこそ分かり合える部分があるのでしょう。 Fate/Zero 第15話 『黄金の輝き』 のレビューです。
セイバーの左手には「対城宝具」がありました。 ライダーはそのことを、ある程度知っていたのでしょうね。 「その間にどうにかして、英霊たちよ、勝機を掴みうる策を見出して欲しい」と言いながら、ランサーのほうをチラチラッと見ていました。 でもランサーは知らなかったようです。 セイバーは彼の騎士道精神を利用するつもりは全く無かったのですが、切嗣はランサーがああすることは計算していました。 セイバーの融通が効かないところと、切嗣の手段を選ばないところは対照的ですが、だからこそいいコンビなのでしょう。
「対城宝具」とは、城壁を吹き飛ばす威力がある宝具ということでしょうから、確かにこれは強力です。 大型火砲が実用化されるまでは、城壁を攻めるのは非常に難しいことだったからです。 たとえばコンスタンティノープルには全長26Kmに及ぶ城壁があり、そんなの役に立つのかよと思えますが、そのおかげで、10万のオスマントルコ軍の攻勢を、わずか7000人でしのいだのでした。 最後は鍵をかけ忘れた通用口から攻め込まれて堕ちたのですが。
このときオスマントルコ軍は、城壁攻略のために『ウルバン砲』という原始的な大砲を持っていました。 原始的といっても500kgの弾を撃てる巨砲なのですが、命中精度が低く、次弾の発射に3時間かかり、数週間使うと反動で壊れるというシロモノです。 なので決定打にはならなかったのですが、一定の効果は認められて、以後、大砲の開発が進むきっかけになります。
攻城宝具エクスカリバーの力の源は、過去・現在・未来の戦場に散って行った人々の想いでした。 それを一身に背負うことは、ものすごいプレッシャーでしょう。 自分だけではない、多くの人の想いなのですから、自分のためではなく、正しいことに使う責任があります。 だからこそセイバーは、騎士道で自分を厳しく律しているのでしょう。
サーバントの中で「王」だったのは、セイバー、ライダー、アーチャーの3人なので、そのセイバーを見ながら、ライダーとアーチャーが王について語るのは興味深いものがあります。 ライダーは「痛ましくて見るに堪えぬ」と言いました。 小娘らしく夢見ることも恋することも許されず、理想とか騎士道とかに縛られる姿が、そう見えるのですね。 ライダーは自由人ですが、そんな彼だって、王としての重責に苦しんだことはあったはずで、それを乗り越えたから今があるのでしょう。 同じ王として、セイバーの痛ましさはよく分かるのでしょう。
アーチャーは、そんなセイバーが「愛い(うい)」といいます。 身に余る理想に焼き尽くされたセイバーの、散り際は美しいだろうから。 彼は愉悦のために生きていると言いますが、王の責任からは逃れられないはずで、自分とは違うセイバーの生き方に興味があり、一目置いているように見えます。 ライダーとアーチャーは意見が合わないと言っていますが、セイバーの生き方に、同じ王として畏怖しているという点で、通じある部分もあったのではないかな。
「私は、いったい…」とキャスターは死に際に言いました。 何が言いたかったのでしょうね。 セイバーの放ったエクスカリバーの光が、ジャンヌ・ダルクが放つ光ると同じだとしたら、ジャンヌにも同じ力があって、人々の想いを正しいことに使おうとして、それゆえに散ったのでしょう。 キャスターはそんなジャンヌのために働いていたはずなのに、今は人々を絶望に陥れる存在になってしまった。 「私は、いったい何をしていたのだろう」と、最後に気づいたのではと思えます。
中盤のクライマックスでしたが、それにふさわしい回でした。 王たちだけでなく、他の人物もそれぞれに活躍して、キャラクタの個性と物語の面白さが噛み合っています。 映像や音楽も良いものでした。 聖杯戦争としては、まだやっと1組が敗退した段階ですから、今後もクライマックスが何度もあるのでしょう。 楽しみです。
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今回のエクスカリバーのシーンといい、宝具を使った戦闘は鳥肌ものですね
BGM 、作画などどれも本当に素晴らしいものでした
それにしてもアイリは携帯の使い方を教えてもらってなかったのだろうか
そうではないというのが英雄であるということなのだと思います。
全ては「シンシア 愛する人」という曲の歌詞のままなのかなと思います。
その笑顔が何よりの幸せ
勇者達が残した思いとはそれだけだったのではないでしょうか
いつか自分達と同じ道を歩こうとするものを守ってやる力になりたい。
その想いがエクスカリバー。
アルトリアのために使うべき力であり、国のために使うべき力ではない。
それが分からない小娘がアルトリアということだと思います。
あの剣にはギルガメッシュやイスカンダル、ジャンヌやランサー、彼らの想いも入っているんだと思います。
そして、イスカンダルが望むのはアルトリアの笑顔。
多分、ギルガメッシュも絶望など望んではいないのだと思います。
故に、イスカンダルに「怒り」といったギルガメッシュは分かっている、イスカンダルが何に対し怒っているのかくらい。
もしよければ、歌詞調べてみてください。
曲の歌詞な前半からランサー、イスカンダル、ギルガメッシュなのだと思っています。
ランサーは今回の一件でセイバーが騎士王とは名ばかりの夢見る小娘であることを知ってしまった。
英雄とは自らの戦場を見つけたのならば否が応でも戦わねばならないもの。どんな手でも使うもの。
でもアルトリアは一度も自分ために剣を抜いたことのない小娘。
自らの戦場を見出すことすらしてこなかった英雄を夢見るただの小娘。
だから、宝具(逸話=自分自身)を折り英雄とはどういう存在かを示した。たとえランサーの言いたい事の半分も理解できなくてもいい、返事もいらない、いつか自分のためにその剣を抜くときのために覚えておいて欲しいことを聞いておいて欲しかった。
そして、イスカンダルは小娘にはどうか陽だまりの道を歩いて欲しいと思う、血溜まりの道などではなく、それが剣の何よりの望みだから。
国のために剣をふるい、敵を殺し、仲間を殺し、そうする度に自分を傷つけ続ける。そんなこと剣に宿る英雄達は望みはしないから。
それでは、アルトリアにとっても剣にとっても不幸でしかないから。
だからこそバーサーカーは許せないアルトリアを傷つけるだけの黄金の光が…その残酷な巡り会わせが…騎士の一人として
そしてギルガメッシュは歌詞の最後。
雨の日も、嵐の日もあってもいい。
過ちを繰り返す日々も。
全ては無駄ではない。
いつか誰に侵されることもない真の英雄になって英雄王やの加護など必要ないほど強くなりその顔に真の笑顔になるその時まで時に敵として、時に仲間(?)としてずっと見守り続ける
とそういうことなのかなと思いました。
>ジャンヌ・ダルクが放つ光ると同じだとしたら
彼が同じと感じたのは
彼がジャンヌと共に国を救おうと立ちあがった時に感じたものだと思います。
天啓とか、神のお告げとかって類のもの。
でも本当は英雄達だったのかなと思います。
国を救いたいと思った二人の背中を押し時に奇跡を起こし、そんな連中が二人に手を貸していた。
でもそいつらが望んだのは国を救うことなどではなく二人の笑顔だった。
ジルドレイはずっと千年以上ジャンヌに暗闇の中で謝りつづけてきた。しかし、光が差し込み顔を上げてみれば自分が謝り続けていたはずの相手は微笑みを浮かべ手を差し伸べていた。
自分は誰に何を謝っていたのか
彼らが望んでいたのは自分の笑顔(幸せ)だったのではないのか
ってことに気づいたのかなと思いました。
彼は最後に「暴君であるがゆえに英雄」その本当の意味を理解したのだと思います。
あの後に原作ではセリフがあるのですか。僕は原作は知らないのですが、あれはあれで、余韻があってとても良かったと思えます。尺のためというよりは、意図的だったのかもしれません。映像と文章では違いますからね。
■サーモンさんコメントありがとうございます!
アサシンは一度やられたけれど、また復活したのかなと思っていました。そうでもないのでしょうか。
この作品の時代は少し昔のようなので、まだ携帯電話が珍しかったのかもしれません。それにしても、使い方は習っておくべきですが。
■野良猫さんコメントありがとうございます!
ライダーとアーチャーは、セイバーを見て「英雄とはそういうものじゃない」と思ったのでしょうね。もっと自由に生きるべきだと。でもセイバーの生き方にも一目置いているように見えました。
キャスターもかつては「英雄」だったはずで、自分が誰のための英雄だったのか、最後に思い出したのでしょう。