遅ればせながら、秋アニメの感想第1弾です。 心温まるアニメになりそうですね。 たまゆら ~hitotose~ 第1話 『わたしのはじまりの町、なので』 のレビュー。
瀬戸内を舞台にした、ノスタルジックな物語ということで、大林宣彦監督の『尾道三部作』を意識しているのでしょうね。 その街で過ごした経験は無いはずなのに、誰もが懐かしいと思うような、尾道三部作はそんな作品でした。
フィルムカメラという小道具も、ノスタルジーを誘いますが、父親の形見のローライ 35Sは、単なるレトロではなく、今でも使う価値のあるカメラですよ。 デジカメでいいじゃんと思われるかもしれませんが、人物のポートレートを”作品”として撮るには、背景を適度にぼかしたいものなのです。 人物が浮かび上がって見えるし、カメラマンが「これを撮りたい」という意図が明確になるからですね。 実際、お父さんや楓の撮った写真は、背景をぼかしたものが多くありました。 そして、コンパクトデジカメでそういう写真を撮るのは難しいのです。
背景がボケる理由は、ピントが合う範囲が狭い(人物にだけピントが合い、背景には合わない)ためですが、ピントが合う範囲は、レンズの焦点距離(ズーム率)と、レンズの明るさと、撮像素子の大きさで決まります。 コンパクトデジカメとフィルムカメラの一番の違いは”撮像素子の大きさ”で、フィルムカメラの撮像素子はフィルムなわけですが、それはコンパクトデジカメよりも30倍も大きいのです。 さらに、ローライ 35Sは、小さいボディでありながらF2.8という明るいレンズを搭載しているので、背景のボケを自由自在に操れるはずです。
もちろんデジカメでも、いわゆる”フルサイズ”のデジタル一眼カメラであれば、近いボケ味が出せますが、図体がずっと大きいので、女の子が気軽にスナップを撮るには向かないでしょう。 日常の何気ない風景を作品にしたい楓にとって、ローライ35Sはとても適したカメラだと思えます。 オートフォーカスなど電子制御は一切無いですから、扱いは簡単ではないですが。
今のデジタル機器って、どんどん新しいものが出て、古いものはあっというまに陳腐になりますよね。 デジカメや携帯などは、数年で買い買える人がほとんどでしょう。 でも昔のカメラで、しっかりした作りのものは、数十年を経ても価値があるのです。 それ自体に思い出がつまっていたり、心が通う気がしたりというのは、デジタル機器には無いものでしょう。 このころのキカイは良かったよなという、ノスタルジーを生かしたストーリーになりそうです。
それは横糸だとして、経糸は楓の成長物語でしょうね。 父親を失ったことは、彼女にとってとても大きな喪失だったようで、どちらかといえば陰気な、人と話すことが苦手な子供だったのでしょう。 彼女の不自然な語尾が、口下手なことを現わしています。 口下手な人って、「~です」「~だよ」と言い切ることが苦手で、「~だから…」とか「~で…」というあいまいな語尾になりがちで、「~なので…」もその一種です。
でも、これまで悲しくて封印していた父親の思い出を、むしろ自分から積極的に思い出して、大切にすると決めてから、彼女はアグレッシブになりました。 そのキッカケを与えてくれたのは写真で、彼女にとって写真は特別なものなのでしょう。
大きな事件や、派手な展開は無いのかもしれませんが、これから寒くなる季節に、胸の奥が温かくなるような作品になりそうです。
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フォーカスも無いカメラでうまく撮れるとそれは嬉しかったものです。
今は、機械に撮らされている感じすらしますが、当時上手に撮れた写真は、
自分の手柄でしたからね。
それにしても、1950年代のライカは、新入社員の年収くらいした
そうです。買えた人は、きっと思い入れも強かったでしょう。
うちの父親はキヤノンA1を持っていました。露出はオートですが、フォーカスはマニュアルでしたね。
けっこう高いものだと思うのですが、子供(僕や妹)を撮るために買ったのかなぁと思います。僕も子供を撮るためにカメラを買いますが、それほどお金かけてないなと。