『侘び』という言葉の深さに思いを馳せていました。 へうげもの 第14話 『悲しみのミッドナイト・パープル』 のレビューです。
戦国や幕末といった、激動の時代を舞台にした歴史物の魅力の一つは、生と死の瀬戸際での生き様が描かれることでしょう。 自分の今の悩み事なんて、彼らに比べれば何とちっぽけなんだろうと思えるからです。 今回は、明智光秀の生と死の瀬戸際が描かれました。
「死に近づけば近づくほど、侘びもまた、はっきりと分かってくるものと存じます」と千宗易は言っていて、つまり、侘びとは生への執着なのではと、以前のレビューで書きました。 今回、光秀が『侘び』を感じる様子を見て、きっとそうだという思いを新たにしています。 死が近づくにつれ、周囲の何気ないものの美しさに気づくのはないでしょうか。 豪華な膳や、きらびやかな名物よりも、粗末な味噌汁に浮かべた一輪の桔梗や、秋風に揺れる幾筋かの煙といった、シンプルな風物がたまらなく美しくて、もっと生きて、美しい世界を見ていたいと願う気持ち。それが侘びなのでは。 限りある生で、美しいものを純粋に愛でるには、虚飾を配した、シンプルなものであるべきでなのしょう。
死の間際には、人生の記憶が走馬灯のように蘇ると俗に言いますが、光秀は佐介のことを思い出します。 彼にとって、実は佐介のような生き方が理想だったのですね。 数寄に呆けて、美を愛でるだけの人生で良かったのに。 なのに持ち前の正義感と使命感から、天下人の座を簒奪するという似合わないことをやってしまい、それが自らの命を奪うことになってしまった。 悔いが無いなんて言えず、もっと生きたいと切実に思っているでしょう。 だからこそ、彼は侘びに近づくことが出来て、侘びを理解するという点で、宗易を凌駕したと自覚します。 それはせめてもの慰めですが、でも光秀の無念を思うと、胸に迫るものがありました。
この作品は、「これが実は~の起源です」というネタをよく仕込みます。 前回はスキヤキの起源でしたが、今回は俳句の起源ですね。 侘びの境地に達した光秀が、「下の句など蛇足…」と俳句を発明したというお話。 もちろんフィクションで、あえてこういうネタを入れるのは、「この物語はフィクションにて候」ということを、はっきり示す意図もあると思えます。
実際のところ、光秀の人格がこれほど高潔で、野望ではなく無私な使命感から信長を殺害したというプロットは、史実とは言いがたいものがあります。 でも、史実がこうでなかったと言い切ることも出来ないでしょう。 ある人の人格がどうかということは、同時代に生きている人さえ、伝聞では分からないものです。 ネットの評判とか特にアテにならないですしね。 ましてや、ずっと前に死んだ人の人格の、本当のところは解らないわけで、もしかしたら光秀はこうだったのかもしれないと想像して、彼の人生に思いを馳せるには、フィクションかどうかはどうでもいいことでしょう。
死に近づいたことによって侘びを理解した光秀に対して、佐介は、信長というヒーローを失ったことで、侘びに近づいたようです。 彼はこれまで、名物そのものの美だけでなく、それにまつわる『箔』にも惹かれていたのだけれど、もはや箔への興味を失って、純粋に美を愛でる心境になりました。 彼の数寄者としての人生に、重要な転機となったのでしょう。
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