一般的な歴史観のことごとく逆を行きますが、それに説得力があるのが凄いところです。 へうげもの 第12話 『ホワイトキャッスルブルース』 のレビュー。
一般的には、明智光秀は私利私欲に駆られて主君殺しをした男で、秀吉は主君の仇を討った忠義の人ということになっています。 でも、この作品の解釈は逆なのですよね。 明智光秀は、家臣や臣民、そして日本全体のことを考えて、義のために行動を起こしたのです。 彼自身には私欲は無く、自分がやるしかないからやったにすぎない。 一方で、秀吉は人々の欲望を操り、「自分に味方をすれば特をする」と思わせることで、勢力を広げています。
光秀は、清和源氏の流れを汲む良家の出身なので、ある意味戦国大名らしく無いのでしょう。 乱世にあっても、侍や主君としての義を第一に行動している。 一方で、戦国大名というのは、乱世にうまく立ち回って、のし上がった人が多いわけで、そういう人々にとっては、「自分にとって利益があるから戦う」という欲望ベースのほうが分かりやすいのでしょう。
秀吉は、「大大名にしてやる」というエサで佐介を抱き込み、その力で中川を味方に付けます。 また、池田氏や高山氏にも、キリスト教の許可など見返りを約束します。 荒木が秀吉の下に来たのも、秀吉となら取引できると思ったからです。 中川に人質を出させて、それを撤回したのは、覚悟を示させることで、「欲望で結束した我々は、もう後戻りできない」と再確認させるためでしょう。
そんな分かりやすい秀吉に対して、光秀の大義は高尚すぎて理解されず、なにか裏があるのではと勘ぐられています。 気の毒な話ですが、彼の理想が独りよがりなのも事実ではあります。
光秀は安土城を白く塗り替えて、千宋易にショックを与えました。 「自分の美はこれだ!」という、確固たるものがあって、それは宋易の美とは対立している。 一方で、秀吉は自分にセンスが無いことはわかっていて、それを隠そうとせず、千宋易に素直に教えを乞うています。 佐介にも、自分の不安な心情を晒していました。 弱みをさらけ出し、人に頼ることで、むしろ周囲から盛り立ててもらえるという人物なのですね。 なるほど、光秀とはひたすら対称的です。
そんな対称的な二人の、直接対決がいよいよあるのでしょうか。 もちろん結果はわかっているので、光秀の散り様と、そのときに秀吉や佐介が何を思うのか、に注目しています。
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