公麿が、ついに自分の考えで動きだすのか。 [ C ] CONTROL 第8話 『 CONFIDENCE (信用)』 のレビューです。
これまで公麿は、三國壮一郎や、宣野座、ジェニファー、江原先生など、他のアントレの考えに影響されてきました。 ギルドに入っているのも、壮一郎に感化されたからで、あまり確固たる考えがあったわけではありません。
でも今や、公麿は壮一郎のやりかたに疑問を感じはじめています。 宣野座の思想に鞍替えしたわけでもないのですが、「未来が大切」という部分には、共感しているようですね。
金融街が破たんすることの意味が示されました。 人間だけでなく、地形さえも変えてしまう影響力があるとか。 しかもそれを、普通の人々は気付かない。 いま我々が見ている世界は、金融街によって改変された結果ということですね。
世界が一夜にして変わるということは、つい最近私たちは体験したので、この世界が変わる描写は怖いものがあります。 バブル崩壊の時も、これに近いことが起ったのでしょう。 バブルの頃、僕はまだ社会人ではありませんでしたが、日本は今よりもずっと元気で、街を歩く人々にも活気があったと思えます。 でもバブル崩壊後は灯が消えたようになり、日本経済は長いトンネルに入りました。 IT景気など、一時的な好況もありましたが、長くは続いていません。
世界経済を見ても、アジア通貨危機、リーマンショックなど、経済危機は次々と訪れて、深い傷を作っています。 資本主義経済は、本来は自由放任で市場にまかせるというものですが、世界恐慌の反省から、ある程度コントロールできるように改善されてきました。 それでも、繰り返し危機が起るということは、資本主義というシステムが、本質的にダメなんじゃないかと思ってしまいます。 かといって、変わるものがあるわけでもないのですが。
今の経済システムの問題は、公麿が気にしているように、「未来」の視点が欠けていることにあるのかもしれません。 本来投資家は、企業の未来に投資するものですが、株価の変動で短期的な利益を求めることが当然になり、その利便性のため、「未来」よりは「今」を重視したシステムに次第に最適化されてきたのでは。
例えば国際会計基準ですね。 日本式の会計から切り替える企業が増えていますが、日本式が資産や開発費などを、未来への投資として分割できるような仕組みが多くあるのに対して、 国際基準では、「今の企業価値はどうなんだ」という事実を厳密に求めるので、短期的な業績の変動がいろんなところに影響して(たとえばのれんの扱いとか)、企業が好調な時は大幅な黒字で、不調な時は大赤字、ということになりがちです。 好不調の振れ幅が増幅されるのです。
こういったシステムが積み重なって、現代の資本主義は、好調な時は大儲けできるけれど、何か起ると雪崩のように破たんする、不安定なものになっているのではないかと。 その根っこの原因は、「今この瞬間」だけを重視して、「未来」が蔑ろにされていることに、あるのかもしれません。
そういう、「瞬間だけにフォーカスした経済システム」の象徴が、『金融街』だと思えます。 そこには未来への視点はなく、それどころか未来を担保にして返してくれないという。 もう確信犯的に、未来の無い、破たんが運命づけられたシステムなのではないでしょうか。 某マスコットキャラ並みに悪質に見えてきました。
だとしたら、三國壮一郎は、そのシステムの上で、未来ではなく今だけを見て戦っているわけで、そこに活路があるとは思えません。 かといって、宣野座のお坊ちゃん的な空想世界でもだめでしょう。 公麿がどこに活路を求めるのか、大いに注目しています。
赤ん坊のシーンは気になりますね、公麿が、赤ん坊に『真朱』と名付けていたような。 母親の声は伊藤静さんだったので、羽奈日ではないはずです。 真朱は公麿の未来の娘なのだろうか。 でも情報屋は「どこかで見たことがある」と言っていました。 まだよくわからないですね。 でも今回、真朱の公麿への強い信頼感が印象的でした。 この絆は、彼女たちを強くするのでしょう。
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会話からすると孫娘かなと思いました。
けれどもしかしたら、ミスリードで、形は関係なく、中身が未来ということもありえるのかなとも思っています。
伝説の勇者の伝説の人間の中にいる化物
もしくは、
ワンピースのブルックの影で動く剣豪リョーマ
それらのように、本人から切り離され器に入れられた未来の本人がアセットなのかとも思いました。
強さは未来の本人の強さに比例する。
何もしなかったアホのアセットは弱く、強くなったもののアセットは強い。アセットはアントレの指示(行動)の通りにしか動けない、二人でひとつの存在。
なのかなとも思いました。
そして、アセットが何かをいうときは過去の自分が間違いをおかそうとしたとき、何もいわないときは安心して見ていられるとき、もしくはもうあきらめているときという感じなのかなと思います。
そして、伝勇伝やワンピースでの中の人同様少しずつ体に自分が食われていってなくなっていっている、もしくは同化していっているそんな感じでもいいのかなと思います
今回、情報屋の話を遮ったのも何か意思があってのことではないかと思います。
ちょびっつでいうところの
知っていて結論をだすのと
知らないで結論をだすのはまったく違う
という奴ではないかと。
中の人的には
「だからまだ言ってくれるなよ」
という形で安易な答え合わせはさせなかったのかなと。
>未来ではなく今だけを見て戦っているわけで、そこに活路があるとは思えません。
それならば防衛などしないのではないでしょうか
三國も情報屋もキャシャーンでのヒュドラではありませんが首が一本(公麿)のこればそれでいいと思っているのではないでしょうか。
三國の頭の中では
お前は誰かを百人何とかできるかもしれない、でもその程度だ、俺(達)には遠く及ばない、そんな奴は未来なんて考えず力を蓄えろ。そのための時間稼ぎなら痛みでも何でも耐えてやる。妹の主治医が消えても、妹の治療法が消えてもかまうものか
といっていたのではないでしょうか。
三國も情報屋もわかっているのではないでしょうか、金は天下の回りもの、ホリックの有子いわく対価は預かっているだけ、自分の手にしているものはいつかは次へとバトンタッチするものだと。
駅伝に例えるなら
三國は山を何とかリタイヤせずにおりてきて次のランナーが見えるところまできたら自分の見てる前で次のランナーがいきなり腹痛おこしてどっかいこうとしている
こうなりゃもう一区も…
って感じでしょうか
そして情報屋のアルバムがブライキングボスの作り続けた墓と同じ意味でないことを祈ります。
情報屋もまた残された首の一つでアルバムの始めのページには
公麿父世代の首達(公麿父、真朱似の女、etc)とまだ若き情報屋がc直前にとった一枚
そこから後は消えていったアントレとアントレの未来達
どれほどの未来が失われたか忘れたくなかった
とかパクリ設定にはなってもらいたくないなと思います。
>某マスコットキャラ並みに悪質に見えてきました。
きゅうべぇと同じです。
戦い続ける限り未来は返されているのでは?
世界が捻じ曲げられてもエネルギーを集め続けるきゅうべぇのごとく立ち止まることなく戦いつづけることができるものにとっては未来は一秒ごとに返却されているのではないでしょうか。
シンガポールは信用を失った、ただそれだけのことです
信用があれば未来はいくらでも入ってくるんです。
未来という曖昧なもの、無価値なものに価値を与えているのはミダス銀行であり、アントレの信用です。
アントレが絶望によって立ち止まるのなら資金(エネルギー)を回収、もっと信用できるだれかに預ける、それだけのこと。
そして、金とはその人間をはかる上でわかりやすい基準、多角的に分析する必要があることもひとつにしてしまえばはかり易い。
公麿が燃やしたのは、
公麿の知力、体力、人脈、可能性。
それでも、彼のアセット株に全資産をつぎ込むバカがいたらそれは公麿の力、信用。
金と未来、どちらが信用できるか、
戦い続けられるもの、戦い続ける覚悟のあるもの、戦い続けるしかないことを知っているものにとっては何も悪質ではないシステムだと思います。
某マスコットの場合は、戦うものが幼く弱く、それがより一層残酷に見せただけではないでしょうか。でもそれはきゅうべぇやブライキングボス、三國や情報屋にとってはごく普通の当たり前のことでそれが全ての人にとって普通になったならcなんてならない、そういう話ではないでしょうか。
長く、また色々なアニメ飛び飛びですみません
「未来の本人」という解釈は斬新です。自分自身の未来ですか。でも公麿は、自分の未来ならば、失われてもそんなにダメージを受けない気がします。彼が守るのは、身近な誰かの未来でしょう。
三國が「邪魔をするな」と言ったのは、公麿を見くびっているのか、あるいは自分は”今”に殉じて、未来のことは公麿に託そうとしているのか、どちらでしょうね。 野良猫さんは後者の解釈ですね。 あると思います。
「未来は1秒ごとに返却されている」というのは、そうかもしれないと思いました。 本人の未来ならばそうでしょう。 でも三國にとっては、妹が快癒しないと未来を取り戻したとは言えない気がします。 あるいは、死なない限り未来があるということなのかな。 僕は、あの妹が元気になって欲しいんですよね。