欲望のためならば、手段を選ばない人々。 へうげもの 第7話 『mt. 富士スカイライン』 のレビューです。
とにかく、この作品の登場人物は、みな欲望に忠実で、欲望をエンジンに動いていますよね。 古田佐介はもちろんですが、千宗易も、自分の美意識を天下に広めるという欲望のために、陰謀を巡らします。 自分を信頼してる明智光秀を、罠にはめることも厭いません。 次回の茶会は、どうなってしまうのでしょうか。
秀吉も、千宗易に心酔しているのは本当だと思うのですが、いざとなると宗易を切り捨てることに躊躇しないでしょう。 彼の欲望の前には、駒に過ぎないからです。
そして、最も大きな欲望を抱えているのは信長です。 彼は日本だけでなく、世界を手に入れたいと思っている。
この時代の政治形態は、いわゆる”封建制”で、各地に領主(大名や旗本)がいて、その領主を将軍が統べるというスタイルです。 個々の土地や民は大名のもので、将軍は間接統治なのです。
でも信長は、直轄領を増やし、名実共に、日本の領主になろうとしています。 世界征服のためには、それくらいの大胆な改革は必要でしょう。 そしてそれは、既存の大名の既得権益を奪うので、明智光秀には受け入れがたいものでした。
滝川一益が、領地ではなく茶器を欲したのは、史実のようですね。 どうせロクな領地はもらえないという読みが、あったのかもしれません。 ならば大名物をもらって、自らのステータスを上げたいと。 彼も欲望に忠実です。
人々が、こんなに欲望にギラギラしているのは、この時代、寿命が短かったことも影響しているのではと、ふと思いました。 「人生50年」の時代ですからね。 手柄を立て、一角の人物になったとして、それを楽しむ期間は十数年しかありません。 「ほどほどにがんばって、あとは悠々自適」という生き方は、長い余生があってこそでしょう。 この時代の人々には”余生”はほとんどなく、全盛期からほどなくして死ぬのです。 人生が短いから、欲望の限りに生きて、自分を燃やし尽くしたいと思うのではないでしょうか。 その半ばで死んだとしても、少し人生が短くなるだけなので、悪い賭けでは無いという。
千宗易は、「死に近づけば近づくほど、侘びもはっきりとわかるようになる」と言いました。 これは、死に近づくことの諦念が侘びに通じるということかと、最初は思ったのですが、 むしろ逆なのかもしれませんね。 生に執着し、永遠を求める想いが、侘びに込められているのではないでしょうか。 そんな風に思いました。
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日本全体を自らの直轄地としてそれから世界に打って出るという考えは確かに当時の大名には受け入れがたいものだったでしょう。自分の権限がそれだけなくなり自分たちが戦場で命を削っただけの見返りがなくなるわけですから。
秀吉が前回に比べて色黒になったのは何だか腹の色の表れっぽいですね。
秀吉は実際に色黒だったそうで、だからサルと呼ばれたのでしょうけれど、近頃はその黒さが陰険さに見えてしまいますね。彼としても、内心辛いのでしょうけれど。