最終回にして、「野球部の定義」に立ち返ったということなのでしょう。 もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら) 第10話(最終回) 『みなみは高校野球に感動した』 の感想です。
第1話で、みなみはまず、野球部の定義について考えました。 夕紀から、サヨナラヒットで感動したエピソードを聞いたことをヒントに、「人々を感動させること」を野球部の定義に決めます。 すべてはそこからスタートしました。 マーケティングも、イノベーションも、すべて「人々を感動させるため」なのです。
みなみは、夕紀を失った失意のどん底にいましたが、チームの奮闘を目の前にして、こみ上げる想いを抑えることが出来なくなりました。 それも当然です。 彼女は、「人々を感動させる」ために野球部をマネジメントしてきて、その成果が目の前にあるのだから。 彼女が感動できなくて、誰が感動するでしょうか。
そして、みなみの応援が、野球部のやる気に火をつけます。 結局、彼らはみなみのために野球をしていた部分があるのでしょうね。 漠然と「人々を感動させる」だけではなく、まずは「みなみを感動させる」、そして「みなみを甲子園に連れて行く」という思いが強かったのではないだろうか。 野球部を生まれ変わらせて、彼らに目標を与えてくれた人だから。
監督の采配もいいですね。 彼も、「人々に感動を与える」という定義を守っています。 『ノーバント・ノーボール作戦』もそのためのものでした。 彼にとって敬遠は唾棄すべき行為なので、敬遠されたランナーに代走を送り、「敬遠したことを後悔させてやれ」とハッパを掛けます。 ピンチに弱い龍之介も、あえて変えませんでした。 これもまた、人々や、野球部員に感動を与えることを第一に考えての采配です。 迷ったら、出発点に立ち返るのは大切なことでしょう。 そして、その狙いはズバリ当たったのでした。
そんなわけで、きれいにまとめた最終回だったと思えます。 でも、思ったほどこのドラマに「感動」できなかったのは、夕紀を殺したことに引っかかりを感じるからですね…
キャラを殺すことが、ドラマにどうしても必要なケースはあります。 人物の死が、他の人物に大きな影響を与えて、ドラマとしてのブレイクスルーになる場合です。 高校野球ドラマの名作、「タッチ」は、それに当たるでしょう。 あの人物の死を基点に、すべての人々の運命が回りだすのです。
でもこの作品の場合、夕紀の死が、何かブレイクスルーを生み出したとは思えません。 野球部の勝ち負けには、あまり関係なかったと思えますし。 普通に、決勝戦の日に危篤になって、後日元気になる、というストーリーでもまとまるはずです。 それなのに殺してしまったのは、そうしないと盛り上げられなかった、作者の力量不足じゃないかと思ってしまうのです。
まぁ、好みの問題です。 この結末に、感動した方も多いのでしょう。 僕は、夕紀が元気になるところを見たかったですが。
ともあれ、『マネジメント』について学ぶよいキッカケになったし、マネジメント入門としてよくできた作品でした。 原作も、機会があったら読んでみたいと思っています。
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もしドラについてですが、私は原作の方が断然おもしろかったです(^^)アニメは10話に押し込めた感じがありますね。
なので、ぜひ原作おすすめします。
原作は普通の厚さの小説なので、10話でやるのは十分だと思えるのですが、それでも足りていないのですか。原作は、よほど密度が濃いのですね。
ノーバント・ノーボール作戦の説明が足りないという意見は、他の方のレビューで見ました。
ぜひ、原作も読んでみることにします。