たいぶ分かってきたし、現実の経済活動と比較して、先の展開を予想するのも楽しいですね。 [ C ] CONTROL 第4話 『 CONVERSION (転換)』のレビューです。
壮一郎のディールで、何が行われているのかいまいち分からなかったのですが、公式サイトの解説にある、アセットの説明を見て分かりました。 壮一郎はアセットを(少なくとも)3体持っていて、土壇場で、『眠り姫』と呼ばれていたオーロールを呼び出しました。 すると同時に、もう一人のアセットの『Q』も現れました。 『Q』は普段はオーロールの力で半睡眠にされていて、その強大な力の暴走を抑えているのですね。 でもオーロールを戦闘に使ったので、『Q』も覚醒しそうになり、壮一郎は「早く戻れ!」と焦っていたのでした。 『Q』が暴走すると、勝ち過ぎてしまい、現実世界への影響が避けられないのでしょう。
いまさら分かったのですが、この世界での戦闘(ディール)は、マネーゲームというよりは会社経営ですね。 資産(アセット)を活用して利益を上げるわけなので。 アントレ(起業家)という名前からして当然か。 アントレは資産を持っていて、最初は100%自己資産なのだけれど、資産の一部を株式として公開し、事業資金を得ることができるわけです。
強くなり、資産が増えると、アセットの価値があがるので、1株の値段も高くなるのでしょう。 今回、壮一郎は公麿のアセットの1/10を5000万で買いましたが、ということは公麿のアセットは5億の価値と評価したわけで、現時点では過大評価と思われ、対戦相手の江原は理不尽だと思ったのでしょう。
ディールは、企業同士の市場での争いを模しているのでしょうね。 相手企業がダメージを受ければ、自分が利益を得るという、ゼロサムゲームの市場のようですが。 勝利条件は、一定時間内に多くの利益を稼ぐか、相手を破産させるか、でしょう。 公麿は江原を破産させてしまいましたが、壮一郎は破産はさせず、少しだけ勝つようにコントロールしています。
現実の企業経営で考えると、競合他社に勝つには、市場での争いに勝つ以外に、その会社を買収する手もあります。 過半数の株を入手すれば、株主として会社をコントロールできるようになるからです。
この物語でも、アセットの株の過半数を握ると、そのアセットごと買収できるのかもしれません。 三國壮一郎は、そうやって3体のアセットを得たと考えられます。 となると、壮一郎は公麿のアセットの買収も狙っているのでしょうか? でも株を得る目的は、普通は買収のためではなく、配当目的だったり、転売して利益を得るためだったりします。 壮一郎は公麿を見込んでいるので、見込み通りに強くなれば、アセット株を高く転売したり、配当を得たりできるのでしょう。 「単に投資しただけ」というのは、嘘ではないのかもしれません。
「未来を担保にする」ということの、意味が示されました。 グロテスクな話です。 江原の場合は「未来」が子供でしたが、たぶん人それぞれで、公麿の場合は将来結婚するはずの相手、つまり羽奈日が「未来」である可能性が高そうです。
お金が無いから子供が作れない、というのは世知辛いけれど、事実でもあります。 僕も世間並の給料はもらっていると思うのですが、嫁と子供一人でも、養うのは楽ではありません。 数十年前の日本は、5人も6人も子供がいるのは普通であり、つまり今よりもある意味、豊かだったと思えます。 どうしてこうなってしまったのか、という現代の歪に、向き合う作品になるのでしょうか。
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人それぞれではないと思います。
金融街での金は未来。
公麿は江原の未来を奪いました。
別の言い方をすれば、江原の未来を自分の未来の一部に加えた。もしくは背負った。
そして、公麿の資産からすれば一部どころかかなりの割合が江原の未来になった。
結果として江原は負けた、けど公麿は勝ち未来をいいものへとかえた、だから江原の未来もそこまでひどくはならなかったということでは?
金融街で勝つというのは他人の未来を一緒に背負い込むことではないでしょうか。
公麿が大負けして失う未来はすでに自分の未来だけではなくなっているはずです。
公麿の父親の手帳に書かれていたのは自分が背負った他人の未来だったのではないでしょうか。一銭(一人)でも多くの未来を集めて守ろうとした、だから「守」銭奴。
その守銭奴の大負けの結果がこの世界の不幸の始まりとかって落ちもあるのかなと思いました
>公麿のアセットの買収も狙っているのでしょうか?
分散投資でいうところのリバランスとかいうやつではないでしょうか。
三國の未来の中に、公麿を諭したりアセットを守ろうとした昔の三國の割合はかなり小さくなって帝王としての三國が大半になりバランスが悪くなっていた、そこで公麿(昔の自分)を自分の未来に組み込むことで暴走してしまわないように、すべて崩れ落ちてしまわないようにバランスを調整しなおした。という感じではないでしょうか。
>どうしてこうなってしまったのか、という現代の歪に、向き合う作品になるのでしょうか。
それだとキャシャーンと同じおちになるのではないでしょうか。すべてのロボットがブライキングボスやキャシャーンのように強くなれるまでキャシャーンが一人で背負うというような、公麿が「もっと効率よくお金を稼ぎたいとおもいませんか」とかって人としての形すら失って誰かを金融街に引きずり込み、未来を運用し増やすよう頼むだけの存在になるとか。
いや、観念的にはそれもあるかもしれませんが、金融街はもっと即物的だと思えます。ミダス銀行は未来を担保に金を貸し、その金は金にすぎません。 債務超過になると、ミダス銀行は担保にしていた未来を弁済に当てます。 その未来を、対戦相手か被る仕組みにはなっていないように見えます。
三國が、自分のバランスを保つために公麿を必要としている、というのはそうかもしれませんね。自分の駆けだしの頃と似ているようですし。
公麿が、キャシャーンのようにすべての矛盾を背負うという結末は、ありそうで怖いですね。もっとハッピーエンドがいいですが。