「どっちのリビドーが強いか」の対決になりましたが、そもそもリビドーって何なのでしょうか。 STAR DRIVER 輝きのタクト 第16話 『タクトのシルシ』 の感想です。
『リビドー』は、一般的には『性的衝動』の意味で使われがちですが、本来の心理学の用語では『心的エネルギー全般』のことを言うようです。何かを強く願う(欲求する)気持ちのことなのでしょう。スタードライバーの力の源泉はリビドーであり、巫女もそうでしょう。
ミズノは、母親に捨てられたことで、その代わりの家族として、『第一フェイズの力』でマリノを作り出します。ものすごい力だと言えますが、これはミズノが母親に強いこだわりを持っていることの裏返しでしょう。母親に捨てられたことに耐えられずに、「母親なんていらない、自分には優しいお姉ちゃんがいるから」と思い込むことにした。彼女のリビドーは、『現状否定』だと言えます。
ヘッドはどうなのでしょうか。彼は、リビドー勝負で負けるわけがないと、自信満々でした。リビドーを『野心』と表現していたので、誰にも負けない野心を持っているということなのでしょうね。彼の退廃的な様子や、綺羅星十字弾の理念から見て、たぶん「世の中を全てぶっ壊して全部作り直す」みたいな、悪の親玉にありがちな野心なのではないか。確かにスケールが大きいので、「自分以上のリビドーはあり得ない」と考えるのも、無理無いかもしれません。これもまた、『現状否定』のリビドーです。
一方で、タクトのリビドーは何でしょうか。初めて彼の過去が語られましたが、友人のナツオの死が、大きな転機になったようです。身近な人の死は、生死について考えるキッカケになります。自分はなんのために生きているのか、という問いの答えは簡単には出せないけれど、自らの死期を知りながら、透明な笑顔を振りまいていたナツオの気持ちがわかれば、ヒントになるかもしれません。だからタクトは、ナツオの真似をして、ナツオに近づこうとしているのではないかな。
「お前を捨てた父親に会いたいか」と聞かれた時、「ああ、一発殴らないとおさまんないぜ」と言いましたが、よくある「一発殴らせろ」というセリフは、「一発殴ったら許す」という意味です。彼は父親に捨てられたことは、もうそれほどこだわっていない。そんなことよりも、より人生を輝かせて、ナツオの境地に近付くことに興味があるのです。「やりたいこととやるべきことが一致するとき、世界の声が聞こえる」という境地に。これはとてもとても、『現状肯定』のリビドーです。人生は素晴らしいと信じている。
現状否定と現状肯定、どちらのリビドーが強いでしょうか。『スターウォーズ』では、フォースに”ライトサイド”と”ダークサイド(暗黒面)”があり、「ダークサイドの力は、強いわけではないが、たやすい」という言葉があります。そういうものでしょうね。負の感情は、たやすく増幅することができます。リビドーもそうでしょう。だからヘッドは自信を持っていた。でも、タクトの前向きな気持ちは、それを凌駕するほど強かったのでした。「現状肯定のリビドーのほうが強いんだ」という、この作品からのメッセージでしょう。
前回、ミズノは不幸のどん底に突き落とされたので、そこからどう救われるのかが見どころでした。彼女は、自分と同じように親に捨てられたのに、あくまで前向きなタクトのことを知って、自分が間違っていたことに気付きます。そして、自分の意志で、母親に会いに行くことに決めました。一発殴って、許すために。
マリノは、一度はこの世から消えたのではないでしょうか。母親の代わりとして、ミズノを甘やかすために作られたのに、ミズノに拒絶され、役目を果たせなくなったのだから。 でも、ミズノが母親への負のこだわりを捨て、母親とは無関係に、マリノに居て欲しいと願ったことで、戻ってきたと想像します。ちょっと不思議なテイストでしたが、救いのある結末で良かったなと。
ただ、さかなちゃんの後を担う人材として期待していた、ミズノまでも去ってしまったのは残念ですけどね。来週からの新キャラに期待しましょう。
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そうではなくヘッドの言いたかったのは
「結局は皆俺になる」
だったのではないでしょうか。
ヘッドに勝つということは
ヘッドのようにならないことではないでしょうか。
しかし、戦士(アーチャー、fate)のシルシを持つ者はいつか理想ゆえに世界から色(声)を失い色褪せた(音のない)世界(バニシングエイジ)を生きることになる。
タクトもいつかは同類になる、そうなれば結局はヘッドと同じところまで堕ち、ヘッドという生き方に負けたことになるということではないでしょうか。
ヘッドに勝つには死ぬまでヘッドにならないことなのではないでしょうか。
そしてその難しさはタクトのじいさんやワコのばあさんがしめしているのではないでしょうか。
タクトに父親のことを話さなかったのはもう彼から色は失われていてタクトの姿もタクトの声も本当の意味では届いていなかったから、彼もまた一つのバニシングエイジの形だったのではないでしょうか。
ワコのばあさんのきいた「シルシをいつ」は認めたくなかったのではないでしょうか。同じようにリビドーの搾りかすになったはずの男に色が戻ったことを。それを認めることは自分を否定することだから。
ミズノと綺羅星側は、ある意味マイナス方向のエネルギーをサイバディの糧にしている感がありますね。そもそも「リビドー」と表現したのはそういうあの保健医で(笑)、ヘッドは「野心」と言い直しています。
タクトは当然プラスエネルギーでしょうが、島から出たいと願いながら現状を受け入れ、巫女として唯一勤めを果たしているワコもそうなんではないでしょうか。
ワコの第一フェーズはまだ見えませんが、彼女の力を見くびっている様子のケイトがこのまま「堕ちた巫女」として描かれるなら、巫女同士の対決もあるかもしれませんね。
まさか巫女のサイバディ同士の殴り合いにはならないと思いますが(笑
”俺になる”というのが、具体的にどういうことかですよね。
「理想が高いゆえに絶望する」はあると思いますが、その絶望の果ての野望は何なのか。
僕はそれは、世界の破壊と再構成みたいなことだと、思っているのですが。
■こにぃでさんコメントありがとうございます!
まさに、「マイナス方向のエネルギー」が、綺羅星十字団の連中のリビドーだと思います。
タクトもワコも、夢や希望を持っているので、プラスエネルギーなのでしょう。青春の謳歌です。
巫女のサイバディの殴り合いは、面白いですね。女性キャラの修羅場って好きなのですが、それをサイバディでやるのは新しいです。
それすらも彼らにはないと思っているのです。
昔のアニメでレーサーのセリフに
「あいつは俺の負けて逃げ出した壁の向こう側にいるんだ、だから、あいつにだけは負けられない」
みたいなのがあります。
もしくは、図書館戦争での良化隊
「(俺達に信念なんてない、あるのはしがらみか…中略)そんな奴にかぎって組織への帰属意識だけは高い、自分達のプライドを傷つけられたと思っていきりたってる」
ではありませんが
ヘッド(バニシングエイジ)は死にもの狂いで最期の特攻しかけてきた良化隊と同じだと思ってます。
ヘッドのリビドーの本当の部分は
タクトの眩しさが許せない。
自分の負けた壁の前でも逃げ出さないその態度が許せない。
そして、自分の負けた壁の向こう側に行けるかもしれないことが許せない。
そんなところではないでしょうか。
ヘッドが野心といったのは自分をごまかすための方便ではなかったのかなと思います。
希望あふれる姿が見たくなくてその希望を潰したい、自分同様絶望する顔がみたい、タクトの足を引っ張る気満々の自分を隠すための言葉そんな気がするんです。
そこまでいかなくてもバニシングエイジの彼らは
クラナドで渚と出会う前の智也や春原と同じなのかなと思います。
見える世界はモノクロで、喧騒はどこか遠く、その目に映る希望(?)を疎ましく思いながら生きる。
そんな感じでしょうか
大胆な仮説ですよね。それで説明の付く部分もあると思えますが、僕はヘッドには、理念はあるんじゃないかと思っています。彼の行動には、ある種の確信があるように見えるので。
今後、ヘッドを中心に物語が動きそうなので、いろいろ分かってくるのでしょう。