変体刀の持ち主は、常に刀の性質を反映していますが、「相手を移す鏡」という仙人は、まさに 『誠刀・銓』の持ち主にふさわしい。刀語 第10話 『誠刀・銓(せいとう・はかり)』 の感想です。
『ジョン・ケージ』は著名な音楽家ですが、「音楽とは何か」を突き詰めて考えるうちに、「音楽に音は必要ない」という考えに行き着き、『4分33秒』という無音の曲を作りました。奏者がステージに登場し、4分33秒の間、何もしないのです。
四季崎記紀も、それに近い境地だったのでは。 刀を造り続け、突き詰めるうちに、「刀は必要無い」という考えに至ったと。それが、刀身のない刀の『誠刀・銓』であり、刀を使えない剣術遣いの『虚刀・鑢(やすり)』なのでしょう。
そもそも、剣道・剣術というのは殺人術です。面・胴・突き・篭手といった決り手は、そこを攻撃することで、相手を殺したり戦闘不能にできるからで。でも戦国時代が終わって、太平の世になると、剣道はその性質を変え、自己修練、つまり自分の内面を鍛えることが主な目的になります。ならば、刀身は必ずしも必要無いわけで、「己自身を秤り、己を斬り、己を試し、己を知る」ことに特化した、刃無き刀を作ったのではないでしょうか。
彼我木輪廻は、あれで結構親切に、 『誠刀・銓』のヒントを与えていたのですよね。とがめには、辛い労働をさせて、自分を見つめ直す時間を与えました。七花には、攻撃だけが戦う方法ではないことを教えました。とがめはそのヒントから 『誠刀・銓』の正体を見破り、それによって、刀が姿を現したのでした。
変体刀は、どれも不思議な力を持っていますが、『誠刀・銓』の力は、強制的に自分を見つめ直させることのようです。それはとても辛いことで、実際、とがめは苦しんでいましたが、結果的には、過去を吹っ切ることが出来たようです。
とがめの父親である飛騨鷹比等も、地中に埋まっていた『誠刀・銓』に影響されたようですが、彼の場合、自分というよりも「この国の歴史」を見つめ直してしまったのではないでしょうか。そして、今の歴史は間違っていて、元に戻さねばならないという考えに行き着き、謀反を起こしたと。
たしかに、この物語は私たちの知っている歴史とは違うようです。『尾張幕府』とか言ってますからね。歴史が変わってしまったのは、四季崎記紀の刀のせいなのでしょう。飛騨鷹比等は、それを元に戻そうとしました。
だとすれば、とがめが四季崎記紀の刀を集めるのは、「歴史をあるべき姿に戻す」という、父親の悲願を達成するためなのかな。まぁ、先読みはほどほどにしておきましょう。
そんなわけで、アクションが少なく、禅問答の多い地味な回でしたが、クライマックスに向けてのお膳立てが急速に整っている感があります。あと2話、楽しませてもらえそうですね。
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