待望の、『劇場版 機動戦士ガンダム00(ダブルオー) A wakening of the Trailblazer』 が公開されたので、初日に観てきました。いやぁ、いいSFでした。以下感想です。
内容のネタバレありますのでご注意下さい。
結論から言えば、「とても面白かった」です。懐かしいキャラたちが魅力を発揮していたし、ピンチになると颯爽と現れるガンダムがカッコイイし、地球の存亡を賭けた大決戦も熱い。
でも、この作品の最大の魅力を挙げるとすれば、「正しくSFである」ことでしょう。SFファンのツボを押さえまくっています。TVシリーズでもそう思っていましたが、劇場版はそれがより鮮明でした。
発端が、木星探査船の飛来というのが、まず良いですね。絵になります。軍はミサイルで軌道を変えようとするが、なぜか計算の2割以下しか軌道が変わらない。そして、大気圏で燃え尽きるはずが、なぜか破片が地上まで落下してしまう。
その理由は、カタギリが言っていたように「質量が大きいから」なんですよね。木星探査船と思っていたのは、実は異星体(字はこれでいいのか?)による形態模写で、実物よりも5倍以上質量が大きかったと。SF的な謎解きです。
異星体エルス(ELSE?)の行動は、ウイルスのように対象に取り付いて侵食するというもので、明らかに敵対的に見えました。でも刹那が看破したように、実はエルスは敵対していたわけではなく、「相手と融合することで意思疎通しよう」という行動だったのですね。だから脳量子波が強い人に惹かれていたのでしょう。人間は融合されると死ぬわけですが、”有機生命体の死”の概念が、エルスには理解できないのでは。こういう”異星文明とのすれ違い”も、SF的です。
この作品は、いわゆる「ファーストコンタクト・テーマ」のSFで、異星人との接触を描いているわけですが、このテーマのミソは、異星文明といかに意思疎通するか、にあります。「ワレワウチュウジンダ」みたいに挨拶してくる異星人は、いまどき流行りません。異星文明は、我々の文明とは根本的に違う思考形態かもしれず、意思の疎通は難しいはずなのです。でもそれがあまりに違っていると、物語として描写するのが難しいというジレンマがあります。
この作品では、それを「GN粒子を媒介にした脳量子波による意思疎通」として描きました。TVシリーズからの「わかりあうためのGNドライブ」という設定が、ファーストコンタクトを描くことにも使われているわけです。
まぁ、戦場での意思疎通に特化した『ダブルオークアンタ』が登場した時点で、この結末はミエミエではありました。でも描き方が良かったと思うのですよ。エルスと意思が通じたことを、どうやって表すのかなと注目していました。分かりやすくするのであれば、エルスが擬人化して刹那の前に現れて会話する、とかいう表現もあるでしょう。
でも、そんな安直な描写にする代わりに、「エルスたちが巨大な花を作る」と描きました。あれが、刹那とエルスとが「わかりあえた」ことを象徴的に表現していて、SF的な、スペクタクルなシーンだと思えます。
この結末は、この作品のテーマにも直結しています。この作品のテーマは、
「なぜ世界には戦争が絶えないのか。それはわかりあえないからだ」
でした。互いの真意が分からないことによる誤解や猜疑が、戦争の原因だという考え方です。劇場版では、それを異星人との戦争にも拡張したのでした。「分かり合えば争いは無くなる」という信念を、刹那は異星人との間でも証明したのです。
要するに、TVシリーズでの伏線やテーマを結実させつつ、SFマインドあふれるストーリーで描き切った、素晴らしい完結編でしょう。大満足でした。
不満があるとすれば、敵がモノを言わない異星体ということで、ガンダムの特徴である、敵との戦場での丁々発止のやりとりが見られなかったことですね。ゆえにこの作品はガンダムではない、という見方もあるでしょうが、でもそのかわり、かつての敵陣営同士が、地球を守るために手を結んで戦うという熱いシーンを見ることができました。シリーズの締めくくりとしては、アリなのではないでしょうか。
感想としてはここで締めて、以下に考察的なことを追記します。
■イオリアとは何者か
ラストでイオリアが登場したのは、サプライズですね。僕はイオリアという人は存在しないのかと思っていました。ヴェーダによって作られた人格ではと。
イオリアの業績は、あまりに巨大です。GN粒子を発見し、GNドライブを発明し、脳量子波について研究し、ヴェーダを作った。木星探査にも関わり、ソレスタルビーイングを設立した。一人の人間がやったこととは思えません。
想像するに、まずイオリアはGN粒子を発見して、その応用としてヴェーダを作ったのでしょう。通常のコンピュータでは不可能な推論能力を持つ、量子型コンピュータのヴェーダは、GN粒子によって可能になったと考えられるからです。
残りの仕事は、イオリアとヴェーダのコラボレーションだとすれば、その万能っぷりもある程度納得できます。そして、最後はイオリアとヴェーダは融合したようなので、「イオリアの正体はヴェーダ」というのも、間違いでは無いのでしょう。
■木星探査隊は何を見たのか
TVシリーズの設定の伏線はほぼ回收されたと思えますが、この謎は説明されませんでした。何を見たのでしょうね。
ヒントは、刹那が見た風景でしょう。エルスから流れこんできた映像には、木星のようなガス惑星がありました。おそらく、エルスはガス惑星に発生した生物なのでしょう。 カール・セーガンの著書「コスモス」に、木星の浮遊生物の想像図があったのを思い出します。 エルスは過酷な環境で生まれ、進化し、惑星サイズの構造物を作るほどの文明を発達させたようです。
でも彼らの惑星は、赤色巨星となった彼らの太陽に飲み込まれたようで、移住先が必要でした。選ばれたのが、彼らの星に似た木星なのでしょう。
木星探査隊が見たのは、エルスの痕跡だと思われます。エルスの先遣隊だったのか、移住を始めた本体なのかは分からないけれど、異星文明があることを知り、それとの「来るべき対話」に備えることにしたのでした。イオリアの計画は、全てがそこに向かっています。
■なぜイノベイターが急速に増えたのか
ラストで、人類の4割がイノベイターになったと言っていました。なぜたった数十年で、そんなことになったのでしょうか。
イノベイター化を促す因子は、GN粒子で間違いないでしょうね。トランザムでGN粒子を浴び続けた刹那が、真っ先にイノベイターになりました。その後も、局地的にイノベイターが生まれていたようですが、決定打になったのは、エルスとの地球防衛戦なのでは。あれによって双方が大量のGN粒子を放射し、それが地球に降り注ぎ、多くの人間をイノベイターにしたのではないか。
GN粒子が人類を変革し、イノベイターになったわけですが、実は似たような「変革」を、生物は過去に経験していると言えます。それは「ミトコンドリアとの共生」です。
生物は細胞の集まりですが、当初の細胞にはミトコンドリアはありませんでした。ミトコンドリアは別の細胞で、それ自体DNAを持っています。でもおそらく偶然に、ミトコンドリアを細胞内に取り込んで共生することで、エネルギー効率を飛躍的に高めた細胞が生まれました。それは旧来の生物を駆逐して、ほとんの生物がミトコンドリアとの共生体になります。
つまり、生物はミトコンドリアに感染したことで「変革」したのです。 人類がGN粒子に感染して「変革」することは、これと似ているでしょう。
ミトコンドリアを持たない生物が駆逐されたように、イノベイターではない旧人類は駆逐されているのでしょうか。むしろ、社会的弱者として保護されているのかも。いずれにしても軋轢はあるでしょう。
ラストでマリナ・イスマイールが登場しましたが、お姫様だった面影は無く、落ちぶれた様子にも見えました。それは、マリナがイノベイターではないから、かもしれませんね。政治や経済の中枢はイノベイターに握られて、旧人類は隠居するしか無いのか。
マリナと刹那が抱き合ったのは、旧人類とイノベイターの融和を暗示しているようにも見えますが、物語はここで幕を閉じるので、あとは想像するしかありません。
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ダブルオー面白かったですね。
確かに他のガンダム作品でファーストコンタクトをしたら
それこそ「ワレワレハウチュウ・・・」にもなりかねませんが、
ダブルオーはそうならないよう既存の設定を上手く使って調理した印象です
特にエルスと人間の接点を脳量子波という設定で
整合性を取らせたのは構成的に上手だと思いました。
一方で丁々発止のやり取りについてですが、既存のガンダム作品が
「意思疎通は可能だが、わかりあえるか」に重点があったのに対して、
本作は「意思疎通ができるか」に焦点がありますからね。
エルスとの意思疎通を「花」で表現した刹那は素晴らしかったですね。
それでは。
とてもよい作品でありました。ガンダム作品で本当の意味での敵がいない唯一の作品であり、分かり合えたことが非常によかったと思います。
ラストのマリナと刹那のシーンもとても気に入っています。管理者様のおっしゃる通り、旧人類とイノベイターの融和を暗示しているように見えます。物語はここで終わるのですが、これは物語を外へ出しているようにも捉えることが出来ます。きっと融和できたと思っております。
いずれにしても素晴らしい作品でしたし、管理者様のレビューとてもよかったです。
以上。
当初から、ここへ持ってくるための設定だと思いますね。制作者はSFが好きで、ファーストコンタクトものをやりたかったのだと思えます。
そうですね。従来のガンダムでも、やはり「わかりあう」ことがテーマだったのかもしれません。ニュータイプはそのための舞台装置でした。そういう意味では、この作品もガンダムなのでしょう。
■Nクラさんコメントありがとうございます!
検索サイトから来られたということで、コメント残していただいて嬉しいです。
「よい作品」という表現が適切ですよね。理詰めできっちりしすぎているかも、と思うくらいでした。
確かに、結果として敵は居なかったのですよね。大団円だと言えます。TVシリーズ1期は、「人が分かり合い、平和に暮らすことは無理なのだろうか」という絶望気味の終わり方でしたが、そこからこの大団円にこぎつけたと思うと、感慨があります。
素晴らしいレビューをありがとうございます。
賛否両論ある作品ですが、シリーズを締め括るに相応しい、良い作品だったと感じます。魅力に溢れた作品であるからこそ、賛否両論あるのだと思います。
管理者様のレビューにもあった、『ELSが有機生命体の死を理解できない』という理由付けは、ガンダムという縛りを超えたSFであるからこそ出来たものだと思います。
イノベイター因子を持つ人々の前に現れたリボンズを模したELSは、人類と分かり合おうとしていたからこそ、両手を広げ、笑顔で対象に歩み寄っていたのでしょうか。
ラストシーンの変わり果てたマリナと刹那の抱擁は、恋人でなく、姉弟や親子の様な二人の関係を示している様にも感じます。どんな関係でも、互いの幸せを願っている事に変わりはありませんよね。
きっと、旧人類とイノベイターも、解り合う事が出来たと思います。
素晴らしい作品をくれた製作陣と、素晴らしいレビューをくれた管理者様に感謝します。
長々と乱文失礼致しました。
「遂に完結」という表現が適切でしょうね。長いストーリーが、ここまで綺麗に終わったことは、むしろ珍しいかも。
レビューを褒めていただいてありがとうございます。想いがあふれて長文を書きなぐってしまい、最後まで読んでくれる方がいるだろうかと思っていましたが、意外と読んで下さる方が多くて嬉しいです。これも作品の魅力のおかげでしょう。
■あっぱさんコメントありがとうございます!
リボンズは笑顔でしたね。でもホラー的にはそれが怖い。徹底して「怖い残忍な敵」と描いておいて、でもそれはミスリードだった、という逆転が見事でした。
ラストの二人の抱擁は、いろんなことを想像させます。ダブルオーは、刹那とマリナのラブストーリーかと思わせておいて、あまりそうはなりませんでした。でもあのラストを見ると、やはりラブストーリーだったのかなと思えます。単なる男女の情を超えた、広い意味での”ラブ”のストーリーです。
大変興味深い文章、ありがとうございます。
公開三日目にして、劇場版を見ることができました。
私もイオリアという人物がいかにしてできあがったのか、
ということが気になりました。
まだまだ読み解くべきことがたくさんあるのでしょうが、
とりあえずは一つの大きな作品が完結を迎えたことの余韻に浸ることにします。
この地で生き、そしていつかこの地に眠る。
ということなのだそうで。
あのラストシーンの花が咲き乱れる場所がアザディスタンであると考えると感慨深いです。
イオリアについては、最後で登場しただけでも恩の字なのでしょうけれど、どういう経緯でソレスタルビーイングを設立したのかなど、知りたいことは多くあります。そのうち外伝みたいなものがあるといいな。
かなり長い時間と、多くの人物を扱った作品でした。だからこそ余韻がありますね。
■名無しさんコメントありがとうございます!
なるほど、マリナはあの土地にこだわっているのですね。アザディスタンと共に生きてこその自分だと。
一方で、刹那は長いこと宇宙を旅して、体さえ別物になったように見えます。全く対称的な生き方を選んだ二人であり、その二人が抱擁したことに、意味があるのでしょう。
正直言って観た印象を一言で表すなら「謎」でした
最後にELSEが花になったのも、イノベイターが爆発的に増えたのとか、他にもいろいろな事が謎だったのですが
このブログを観て少しその謎が解消された気がします
しかし個人的には冒頭のアレハンドロの生き生きとした描写がなんだかんだで一番好きですがww
個人的にティエリアの出番や、期待したほどのモビルスーツ戦がないのは少し残念でした。
しかし、これほど後味の良いガンダムはなかったですね。わかりあうこと、についてここまで良い意味でひっぱてきて、綺麗にエンディングまで来れたのは本当にすばらしいと思いました。
見終わった時、アムロ・レイの「人類に絶望はしていない。」という言葉を思い出しました。
次のガンダムでは、ニュータイプも、SEEDのような圧倒的な力も、GN粒子も無い世界で、相互理解について描いてほしいですね。究極であり、難題ではありますが…
拙ブログで、作品がより深く理解できたとしたら、何より嬉しいです。書いた甲斐がありました!
アレハンドロがいたのですね。それは遺憾ながら気が付きませんでした。いろいろ見落としている気はするので、もう一度見に行かなければ。
■shinmaさんコメントありがとうございます!
確かにティエリアの出番は多くなかったですが、刹那たちがピンチに陥ったときに、颯爽と現れて敵を一掃したのは痺れましたよ。
対モビルスーツ戦が少ないのは残念でしたね。それは欠点だと確かに思います。
でもその欠点も、おっしゃる通り、ストーリーの良さで帳消しになるでしょう。伏線が綺麗に収束して、希望に満ちた爽やかなでした。それもガンダムらしくないのかもしれませんが。
ガンダムのテーマは”相互理解”なんですかね。そうかもしれません。UCに注目しています。
本日遅まきながら観て参りました。公開からしばらく経つのにほぼ満員とガンダムブランドの底力を感じましたよ。
さて、感想ですが…メルクマールさんの本文を読むまでは正直”?”な部分が一杯で、巷で目立つ”残り10分がなければ”という意見に同意しかけておりました。しかし理解できないから駄作とは思えず悶々と…
ところがメルクマールさんの考察は心底腹に落ち、この作品の良さを理解できました。ホントにありがとうございました!
p.s. フェルトの件、何でだ!という声が多いですが、気持ちの整理を自分できちんとつける描写があったので、ラストはああなって当然と思うのは私だけ?
とても素晴らしい記事だと思います。
ダブルオー面白かったですね。
「分かり合うことは出来ないのか」とか
「それはとても難しい」
というテーマは散々観てきましたが、
命懸けの相互理解を実現させてしまう刹那は、物凄く男気にあふれていると思いました。
人間として老いて、砂漠の国のお姫様だったマリナが、花が咲き乱れる丘の上で暮らし、
人間を棄てて相互理解を果たした刹那と抱擁する場面は素敵でした。
色々踏まえたうえで、もう一回観にいこうと思います。
僕の記事で「作品の良さが理解できた」としたら、何より嬉しいです! 記事を書いた甲斐がありました。
フェルトは、仕方ないでしょうね。これは刹那とマリナのラブストーリーだったと思えます。
■ironhideさんコメントありがとうございます!
「分かり合うことが出来ないのか」は、普遍的なテーマですね。ガンダムはだいたいそうですし。でも、ここまでスッキリ解決した作品は珍しいかもしれません。
ラストシーンは、やはり味がありますよね。時間が経つにつれて、あれは綺麗なシーンだよなと思えてきます。僕ももう一度は観に行かなければ。
観終わった直後の感想は「難しい。眠い!」でした。
TVシリーズで亡くなったキャストが登場してきたシーンはグッときましたが、後は良くも悪くも圧倒的な戦闘シーンに疲れちゃいました…。
もっと人と人のシーンが観たかったし、新しいメカもジックリ観たかったです。
今回に限らず僕が映画の嫌いな所は「詰め込み過ぎ」な所です。
今回の映画のストーリーも、できたらサードシーズンとしてTVでやって欲しかったくらいです。
やや難解なのは、改善点だと思えます。確かに、TV3期として丁寧にやる手もあったかもしれません。
でも僕は、このスピード感で一気に見られて良かったな、と思います。
本日やっと見てきました。やっぱり50過ぎて一人でガンダム見に行くのは、人が少なくなってから・・・(笑)
全体としてとても良かったですね。それほど詰め込み的でもない、いい構成だと思ったけど。
2ndシーズンまでが国際政治的だっただけに、異星生命体の登場に一部違和感を感じましたけどね。
でも民家から宇宙服を着た人間が現れるなんてのは、SFマインドを結構刺激しました。
ヴェーダと宇宙船ソレスタルビーイングが連邦管轄になってたのは驚いた。
イオリア計画の中核全て共有にしちゃったんかいな。ファウンデーションファンとしては困った展開(第2ファウンデーションが第1に管理されてるみたいで嫌)ですね。
せっかくのオーバーテクノロジー、もっと秘密にしとかんかい。
まあ、もともとイオリアさんは最終的に全て人類に提供するために開発してたんでしょうが。
イオリアと対話していた人物はE. A. レイという人らしいですね。で声優さんはあの人。
久しぶりに映画を見たので、「見直しがすぐできないのって欲求不満が残る」ことを発見。
あと刹那が去った後のことなど、もう少しだけ描写してくれたらよかった。
長い物語だったので、各キャラに思い入れができてしまってるので特にそう思います。
ラストは良かったですね。
小松左京さんの「果てしなき流れの果てに」のエンディングと通じますね。
けど、そんな理屈ぬきにこの作品のラストとして良かったと思います。
TVシリーズの時から一貫して貧乏な中東国の姫様を丹念に描いてきたのは、最後はここに持ってくることを考えていたんでしょうね。
私としては、もっとハードで情け容赦なく合理的なストーリーの方が好みですが、これはこれでよかった。
特に、知性の極北たるイオリアの意志を体現したのが戦争の悲惨の全てを背負わされた刹那という若者であるということに共感を覚えます。
ハリ・セルダンいやイオリアもそれを是としたでしょう。
偶然に見つけて読ませていただきました。
とても深い考察に脱帽いたしました!
しかし劇場版、ほんとうに面白かったですね!
内容については皆さんがおっしゃるようなことに同感です。リヒティとクリスティナ、そしてロックオンが出てきたときはもう・・・(泣)
以前はマクロスみたいにテレビ版を見ていなくても映画だけでも楽しめますよって作品が多かったですが、
これは完全に完結編であり、ファンにはたまらない作品ではないでしょうか。
しかしなによりも個人的に嬉しく感じたのは、エンドロールが始まっても、劇場の中から誰一人立ち上がって帰らなかったことです☆
映画館に集まった人たちは、本当にダブルオーが見たくてきてるんだなってことを強く感じたし、感動しました。
テレビ版から見ていれば最後まで見るってのは当然でしょうが、改めて「みんなわかってるな~」って思った瞬間でした。
「今からみんなで飲みに行こうよ~」って叫びたかった気分です(笑)
■すなふきんさんコメントありがとうございます!
コメントというか、立派な記事ですね!いろいろ考えさせられます。
宇宙船ソレスタルビーイングとヴェーダが、俗世間にまみれているのは確かに残念ではあります。第二ファウンデーションのように、孤高で完璧な存在でいてほしかった、という気持ちはわかりますね。
ヴェーダは人間を拒絶するが、一定数の人間がイノベイター化したら門戸を開く、という設定でも良かったかもしれません。ラストでは必要ですから。
余韻のある幕切れなので、もうちょっと続きを見たかった、という気持ちにはなってしまいます。そのあたりは小説で補完されるのでしょうか。これまで小説は読んでいなかったのですが、そろそろ手を出してみようかなと思います。
この作品がハードSFであれば、おっしゃるように合理的なエンディングでも良かったでしょう。
でも、やはりこれはガンダムなので、人間同士のウエットなやりとりが見せ場です。刹那とマリナのラブストーリーでもありますね。
刹那は、あれでわりとウエットな人でしょう。”戦争の悲惨さ”を背負っていて、戦争の無い世界にロマンを抱いている。だからこそ「イオリアの意志を体現した」というのは、本当にそうだなぁと思います。
■ジェガンさんコメントありがとうございます!
どうもはじめまして。考察を楽しんで頂けたとしたら嬉しいです!
キャラが立っていますから、馴染みのキャラが出てきただけでも盛り上がるし、「以前の敵同士が、人類のために共闘する」という展開も熱かったと思えます。
たしかに、僕が劇場で見た時も、誰もエンドロールで立ちませんでした。そんな映画は初めてです。エンドロールのあとにエピローグがあるのを、みんな知ってたのか?と思ったくらいで。
みんなダブルオーが好きだし、怒涛の幕切れに圧倒されていたというのもあるんでしょうね。
劇場版OOについて、みなさんの感想をみたいなと思い、探していたら辿りつきました。
たいへん遅まきながら昨日、観てきました。
もう、ほんっっっっとによかったです!!
でも、観終わったあと、とても切なくもなりました。
もう、OOが完結して刹那たちに会えないからかな?
実際、1回だけでは管理者様のように深い解釈はできませんでした。
しかし、このレビューを拝見して、改めて劇場版OOの世界観を知ることができたように思えます。
みなさんのように、感慨深いコメントはできませんでしたが、素敵なレビューをしてくださった管理者様に感謝します。
数あるブログの中で、私のブログをわざわざ見て頂いて、励みになるコメントまで頂いて嬉しいです。どうもありがとうございます!
長いストーリーだったので、お別れと思うと淋しいですよね。でも綺麗に終わったので、これでよいのでしょう。
最後のマリナと刹那あたりから変な気分でいっぱいですけどそれ以外はサイコーでしたw自分TVでのフラッグが一番好きでMOVIE版のブレイヴとかマジカッコイイとカンゲキしましたwDVD発売の際は初回限定があれば買いたいですw
ミスターブシドー氏は劇場版でも最高でしたね。出番がやや少なめでしたが。
BD/DVDの仕様が発表されましたね。コンプリートエディションはかなり高いですが、買ってしまいそう。
http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20101022_401803.html
先日も投稿させていただいた者です。先日劇場で2回目を観てきたのでその感想を書かせていただきます。
1回目は感動やら興奮やらであわあわしていたところもあったのですが2回目ともなると冷静に観ることができました。
何度観ても面白い!というのが素直な気持ちなのですが、気持ちに余裕ができた分「もっとこうだったら」みたいなことも…例えば、クアンタの活躍するシーンが少ないということ。
当然戦闘シーンも短いのですが、刹那の十八番である近接戦闘(斬り合い)がクアンタではほとんどありませんでした。武装タップリなのにこれを最大限に活用しないってどうなの?と思ったりもしたのですが、クアンタは対話のための機体=積極的な戦闘は避ける=武装は防衛手段、であると考えれば納得もできます。
いずれにしてもメルクマールさんの考察を読んだ上で鑑賞したからこそ様々な視点で観る事ができたんだと感謝しています。
00が完結してしまったのは寂しいですがこれほど綺麗にまとめてくれて満足しています。
イノベイターとニュータイプ。言葉は違えどレビル将軍が言っていた「戦わなくてよい人類のことだよ」という部分に行き着くような気がして、個人的にこれはまさにガンダムでありました。
クァンタの戦闘シーンが少なかったのは、確かに残念ですね。GNドライブ無しの、弱まった状態も多かったですし。でもおっしゃるように、クァンタが敵をバッタバッタと倒すのは、違うのでしょう。
ニュータイプは、人類が宇宙に適応するための進化でした。広大な宇宙で分かり合うために、必要な能力だたのです。イノベイターもまさにそれであり、富野ガンダムの理念を、ある意味、色濃く受け継いでいるでしょうね。
僕も知らなかったのですが、アインシュタインの言葉だそうです。
アインシュタインは、ユダヤ系だったので、ナチスへの対抗のために原子爆弾の開発に協力しますが、戦後はそれを悔いて、科学技術の平和利用を広く訴えていました。
同じ天才科学者で、平和主義者でもあったということで、アインシュタインとイオリア・シュヘンベルクを重ねているところがあるのかもしれません。
私は最初は「否」でしたが賛に変わりました。
せっちゃんとマリナの抱擁は恋愛から来るものではないかと。
……なんせ刹那の恋人はガンダムですから
マリナとの抱擁は、単なる恋愛というよりは、人類愛みたいなものなのかなーと思いましたね。イノベイターと旧人類の間の、同胞愛みたいなものを象徴しているのでは。
昨日の夜、たまたまWOWOWで劇場版を放送していたので観てみました。
シリーズは見ていなかったのですが、なんか印象に残ってしまったので記念カキコです。
『スペシャルエディション』という総集編が発売されているので、興味を持たれたなら見てみるといいかもしれません。私はそれは見ていないのですが。
どうも記念コメントありがとうございました。
最近00を知って映画を見ました。
ガンダムっていうとメカが闘うとかそんなイメージしかなかったけれど結構いいものですね(笑)
しかし時間がたってからはまるとけっこう虚しかったり…
初めてコメントします。
かなり遅いですが、先ほどOO劇場版を見終え、ネットで感想を述べているところを探してここに辿り着きました。
なるほど、この劇場版はSF色がかなり強い作品なんですね。「ファーストコンタクト」がテーマとか、勉強になります。
私はリアル1st世代なので、最初はなんじゃコリャ!?と思いましたが、最終的には凄く感動できました。
何か色んなアニメや映画から影響を受けたと思われるシーンにニヤニヤしつつも、戦闘シーンの迫力に圧倒され、最後の感動的な抱擁シーンと、かなり盛り沢山の内容でした。
クアンタの戦闘シーンが少なかった点が残念ですが、ELSの絶望的な強さに主要キャラが全員死んでしまうんじゃないかとハラハラしっ放しでした。
好き嫌いが分かれるかな!?とも思いますが、敵味方が一致団結して共闘するなんてイイじゃないですか!
個人的にはエピローグ部分をもう少し厚くしてほしかったかなぁ。
キャラたちのその後が気になり過ぎる。
いずれにせよ、内容的にはかなり満足できました。