高城沙耶の戦略眼はすごい。学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD 第10話 『The DEAD'S house rules』 の感想です。
孝たちは沙耶の家に辿り着いて、久しぶりの平穏を手に入れました。でも微妙な違和感は感じていて、それをズバリと指摘したのが沙耶です。
彼らの前途には二つの問題があるのです。一つは、この場所にずっとは居られないということ。電力などのインフラや、食料供給は近いうちに途絶えるだろうから、そうなっても大丈夫なように、自給自足できる場所に移動する必要があるでしょう。その過程では、多くの危険が予想されます。
二つ目は、この集団の中では彼らは子供に過ぎない、ということ。これまで、彼らは一人前に戦ってきました。危険なことも、多少反社会的なこと(バイクを盗むとか)も生きるためにやってきた。でもここにいると、大人に守られ、監視される立場に戻るわけで、今までのような「チーム」ではいられないことを意味します。
沙耶は一同に、二つの選択をシンプルに示します。仲間でいるか、いないのか。 沙耶は、戦闘の役には立たないし、いつもブツクサ文句を言っていて、メンバーの中では微妙な立場にも見えますが、こういう戦略眼があるのが存在価値でしょう。
現代では、大人になるのは就職する頃と考えられるので、18~22歳くらいまでは子供とみなされます。でも昔は14歳くらいで大人ですね。室町・戦国時代では、元服の年齢は12~14歳くらいでした。江戸時代になると、18~20歳くらいになります。世の中が平和になると、”子供”の時期も長くなるのでしょう。 戦国時代の主な武将である、織田信長、武田信玄、伊達政宗、上杉謙信 などの初陣は14~15歳でした。
孝たちも、戦いの中で急速に成長して、一人前になりました。なのでいまさら子供扱いされるのは、違和感があるでしょう。かといって、やみくもに飛び出すのも無謀ですが、彼らはどのような選択をするのでしょうか。
今回は、孝・沙耶・コータの関係が見どころでした。孝が沙耶の胸ぐらをつかんだのは、先を言わせたくなかったからでしょう。悪い言葉を口に出すと、それが本当になってしまう。「親に見捨てられた」なんてことは口に出すべきじゃない、という気持ちからだと思えます。
それをコータは、苦々しく見ています。「高城さんを守るのは自分だ」という自負があるから。なので、刀の件で孝に突っかかり、それを沙耶が咎めたのでさらにこじれてしまった。この伏線があったから、沙耶は「こいつが私を守ってくれたのよ」と言ったのでしょう。おかげでコータのわだかまりは解けたでしょうから、彼女のセンスはこういうところでも出ています。
平和を手に入れたと思ったのも束の間、そこにあるのはさらなる困難でした。「昨日と変わらない明日を、当然のように受け入れる幸せは失われた。たぶん永久に」と沙耶は言いましたが、彼女は絶望はしていません。あのシーンでは強い風が吹いていましたが、それは彼女たちが顔をあげて、困難に立ち向かうことを象徴しています。
バウンティ号の反乱の話がありましたが、昔のイギリスの軍艦では、反乱はよくあることでした。そもそも、帆船の水兵というのは過酷な仕事で、成り手がいなかったので、イギリスでは人をさらって軍艦に拉致し、無理やり水兵にしてもOKという法律がありました。そりゃ反乱もしたくなるよね。そのため、艦長には強大な権限があり、船の上で裁判を開いて死刑にすることもできました。このあたりはイギリスの海洋小説、「海の男ホーンブロワー」に詳しくて、面白いですよ。
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