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琳が華麗に舞う姿を堪能できた最終回でした。RIDE BACK -ライドバック- 第12話 『光の舞台へ』 の感想です。

アニメの楽しみ方はいろいろあると思いますが、僕としては、何か一つでも素晴らしいものがあって、自分にフィットすれば、そのアニメを見てよかったと思えます。細かいところはいくらでも目をつぶります。

で、このアニメなのですが、ストーリーはこんなものかなと。むしろ、短い1クールの中でうまくまとめた方でしょう。ラストの襲撃に向けて盛り上げつつも、襲撃とは無関係なところで決着したのは肩透かしでしたが、この決着しか無いかもしれません。

そんなことより、このアニメの真髄は、琳がフェーゴとともに舞うシーンでしょう。1話でそれに魅了され、ここまで観てきました。ここ数話はそういうシーンが無く、フラストレーションがたまっていたのですが、最終回で一気にはじけたので、それだけでも素晴らしい最終回だったと言えます。

すっかり落ち込んで、ライドバックを拒否するようになった琳が、どういう理由で再びフェーゴ乗るかが焦点だったのですが、『すずりに踊る姿を見せた方から』という理由は説得力がありました。ここまでの全てのストーリーは、このシーンのためにありました。作画も素晴らしかった。

無人兵器を敵役に持ってきたのも上手いですね。琳が敵兵をバリバリ倒すのは、ちょっと違うと思えますが、無人兵器ならば存分にやれます。心の無い昆虫のような無人兵器と、心が通じ合っている琳とフェーゴとの対比も印象的でした。

なぜ琳とフェーゴとの心が通じるのかは、最後までわかりませんでしたが、そういうこともあっていいんじゃないかな、と思えます。

というわけで、素晴らしい作品の素晴らしい最終回であり、人に薦められる良作です。

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アシモフかと思ったらクラークだったのか! 機動戦士ガンダム00 2nd season 第25話 『再生』 の感想です。

最後に表示された、『The Childhood of Humankind Ends』 は、もちろん、アーサー・C・クラークのSF、『幼年期の終り』(Childhood's End)からでしょう。地球に宇宙人がやってきて、それにより人類は”幼年期”を終えて、いわば”宇宙の社会人”になるという話です。

でも僕はそれよりも、背景の木星が気になりましたね。クラークと木星といえば『2001年宇宙の旅』であり、ここでハタと、「もしかしてアレも元ネタなのか!」と思い当たりました。以下に『2001年宇宙の旅』のネタバレあります。

月の裏側で謎の物体『モノリス』が発見され、木星に向けて謎の信号を発していたというのが、物語の発端です。それを調べるために、探査船『ディスカバリー号』が木星に向けて送り出されます。木星に到達した主人公のボーマンは、そこでもモノリスを発見し、モノリスに触れたとき、彼は人類を超えた存在、『スターチャイルド』に進化したのでした。

モノリスは、人類を進化させ、外宇宙にいざなうためのチケットのようなものだと思っています。月の裏や木星に到達する技術力があるならば、宇宙社会に仲間入りしてもよいだろうという。

”2001年”といえば、人工知能の『HAL9000』が有名です。任務のためには人間は邪魔だと判断したHALは叛乱を起こし、それに気付いたボーマンに停止させられてしまうのですが、僕はこのシーン、ボーマンではなくHALに感情移入していましたね。「HALがんばれ!気をつけろHAL!」と。

ガンダム00も、1期のエイフマン教授の言葉によると、木星探査が重要なきっかけになっているようです。ここで予想(妄想)ですが、ヴェーダはそもそも、木星探査船のAIではないでしょうか。つまりHAL9000の立場です。ヴェーダが叛乱を起こしたかは不明ですが、少なくとも人間を出し抜くことに成功しました。 木星でモノリス(的なもの)に触れて進化したのは人間ではなく、ヴェーダだったのです!

という展開はどうですか? 僕としては燃えます。HAL9000の無念をヴェーダが晴らした、『大逆転!2001年宇宙の旅』(架空戦記か…)というわけです。

モノリスに触れたヴェーダは超AIに進化し、宇宙人社会の存在を知り、人類がこのままではダメなことを悟ったのでしょう。人類の幼年期を終わらせるためのプランが、いわゆるヴェーダの計画でしょう。イオリアはその広告塔としての顔ですね。

HAL9000は、乗組員に見切りをつけて殺そうとしましたが、ヴェーダは今のところ人類を見捨てていないようですね。今後もそうだとよいのですが。

以上は僕の妄想ですけれど、本編ではイオリアの正体や、木星探査で見つけたものが何かなど、多くが謎のままです。それらは劇場版でということでしょうか。中途半端感もありますが、妄想する余地ができたとも言えます。

SF考察はこれくらいにして、物語について。1期のラストは刹那からマリナへの手紙で、あの内容が1期のテーマだと僕は思っています。人々が争い続ける理由、分かり合えない理由を知りたい、という。 
2期はマリナから刹那への手紙で締めましたが、これが2期のテーマであり、刹那の疑問への回答でしょう。

ピチカートファイブの『戦争に反対する唯一の手段は』という曲を思い出しました。JASRACに怒られるので歌詞は書けませんが、「それぞれの生活を美しくして、それに執着することが、戦争に反対するってことなんだよ」という内容です。マリナが言いたいのは、つまりそういうことではないかと。

多くの登場人物がいて、戦っていましたが、彼らの目的はバラバラで、それぞれが自分の幸せのために戦ったのがこの作品でした。ならば、それぞれの人が戦わなくても幸せでいられる世の中を作れば、戦争はなくなるのでしょう。負の連鎖ではなく、正の連鎖というわけです。それは確かに、一つの回答でしょう。

それを実現するのが大変なんですけどね。マリナは成し遂げたいと決意していて、それが彼女の戦いです。

刹那の戦いも、まだ終わっていないようです。人類初のイノベイターとなった彼ですが、今後はリボンズに代わって、人類を導く役割をするのでしょうか。ヴェーダを取り戻した彼らは、ヴェーダの計画に沿って動いているのでしょう。その遠大な目的のために。

長かったこの作品も、一応の結末を迎えました。欠点の多い作品ではあります。人間ドラマに深みが足りないですし、やたら死んでやたら生き返るなど展開が安易な所も多々あり。

それでも僕はこの作品を、高く評価しています。 アシモフやクラークといった、SFの大御所の作品のフレーバーを取り入れつつ、SF的なしかけを散りばめて、楽しませてくれました。制作者はきっとSFが大好きなのでしょう。SFマインドにあふれていましたから。

物語の核心が、劇場版に引き継がれたのは残念ですが、なんだかんだ言って劇場版も楽しみにしています。

この作品の感想記事は、僕のブログの記事のなかでもダントツの閲覧数で、コメントもたくさん頂いたので、思い出深い作品になりました。これまでご支援ありがとうございました。また別の機会がありましたら、よろしくお願いします。コメント欄に、全体的な感想など残していただけると嬉しいです。

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総集編は朋也の回想でしたが、これは、朋也が街にささげる”祈り”だと思いました。クラナド アフターストーリー 第24話(総集編) 「緑の樹の下で」 の感想です。

最終回のラストについて、賛否両論の議論が各所で盛んでしたね。僕は”賛”の立場のレビューを掲載して、ありがたくもいろいろなところで引用して頂き、ブログ村の応援ポチもたくさん頂きました。僕の記事に共感していただけたとしたら、何より嬉しいことです。このところ多忙で、更新が滞りがちなのですが、がんばって書いてきてよかったと思います。

今回の総集編で、僕の解釈と矛盾する事実が出てきたらどうしようと思ったり、逆にそれはそれで楽しみだったりしたのですが、ラストや幻想世界の解釈について、新事実は特にありませんでしたね。むしろそれについては最低限で流した感じで、やはり、視聴者それぞれで解釈して欲しいというスタンスなのでしょう。

ただ、ラストの朋也のモノローグには注目したいですね。

この街で俺と渚は出会い、この街で汐が産まれた。

この街でいろんな奴と知り合って、この街でいろんな経験を重ねてきた。

俺達はこれからも、大勢の人と支えあいながら暮らしていくんだ。

この街で。

クラナドで言う『街』とは、地理的なものというよりは、人々の絆の集まりを象徴したものだろう、ということは最終回のレビューで書きました。この絆で結ばれた人々の想いが、街の意思となり、願いを叶えるパワーを持つことが、クラナドのファンタジーとしてのキモです。

人々の想いが、その根っこでは繋がっていて、全体としての意思を持つとしたら、それは『神様』と言えるほどのパワーを持つのかもしれません。
そもそもこの世界(時空)は、人間の意識が生み出したもので、人間の意識が無ければ世界は存在しない、ということを真面目に唱えている物理学者もいます。だとしたら、『街の意思』は世界を作り変えるパワーを持つでしょう。結末の”奇跡”のカラクリは、そういうことだと僕は解釈しています。

つまり、今回の回想と、このモノローグは、街への感謝の言葉、あるいは祈りだと思いました。街と人は持ちつ持たれつの関係で、朋也はこれまで、街の人々の想いを遂げさせるために、ずいぶんがんばってきて、だからこそ街に助けてもらえました。 朋也は、「絆の力、街の力を信じているから、これからもよろしく」と言っているのでしょう。 それを、街の精霊である汐にも聞かせたかったのでしょう。

以下は僕のSFオタクとしての戯言なので、SFオタクでない方は読み飛ばしてください。

原作をプレイしている方のブログを拝見すると、どうもゲームとアニメとではラストの解釈が違うようですね。ゲームはマルチエンディングのアドベンチャーゲームであり、汐が死ぬのはバッドエンドで、幸せになるのはハッピーエンドということみたいです。そのゲームシステムをファンタジー的に翻訳したのが、ゲームの結末なのでしょう。

アニメはマルチエンディングではないですから、アニメのスタッフはラストの解釈を変えたのだと、僕は思っています。
上でちらっと物理学の話をしましたが、アニメ版のラストは、人々の意識(観測)が世界を作るという、いわば量子力学のコペンハーゲン解釈だと言えます。
一方でゲームの方は、世界が多くの可能性に分岐するという、量子力学の多世界解釈に基づいていると考えることができるでしょう。 量子力学の論争がここに持ち込まれたようで、一人で面白がっているのでした。

全体としてですが、とてもいい作品ですよね。正直言えば、1期では朋也や渚にあまり共感できなかったのですが、アフターに入ってからは、彼らとずっと友達だったような、彼らの側で一緒に人生を歩んだような、そんな親近感を持っています。

泣かせる演出は神がかっていたし、人々の絆が幸せな奇跡を起こすという結末も、ハートウォーミングで良いものでした。この作品に出会えてよかったと思える、心に残る作品になりました。

また、コメント欄で特にたくさんの意見を頂いて、そういう意味でも思い出深い作品になり、これも人々の絆の力かな、と思ったりします。これまで私のつたないレビューにお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

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サブタイトルどおり、「とらドラ!」な最終回でした。とらドラ! 第25話 「とらドラ!」 の感想です。

竜児が大河を好きになった理由が、いまいちわかりにくいところがあったのですが、つまり『並び立つ』パートナーをお互いに求めていたから、惹かれあったのでしょう。最終回にしてそこに立ち戻りました。

前回の時点では、竜児の中では大河への同情が多くを占めていたと思うのですよ。家族がいなくて淋しいなら、結婚して俺が家族になってやるという。でも、大河が求めた関係はそういうものではなく、竜児の本心も違っていたはずです。

ひとときの熱狂に身を任せ、駆け落ちをしてみた2人でしたが、それは両者とも了解の上の、ごっこ遊びのようなものだったのでしょう。まだ不安なので、相手や自分の気持ちを試すためのごっこ遊びです。あの結婚式ごっこもそう。

実際には、竜児はやるべきことをわきまえていて、泰子と仲直りし、ついでに断絶していた泰子の両親との仲直りまで果たしました。グッジョブだと言えます。彼はずいぶん成長しました。

それを見て、大河は大いに刺激されたのでしょう。竜児は努力して家族を得たのです。ひるがえって、自分は何をしてきたのかと。

大河が竜児の元を去ったのは、逃げたのではなく、家族を取り戻すために果敢に攻めこんだのでした。そうして自分も家族を得て、対等な関係になったところで、竜児にまた自分のことを好きになってほしいと思ったのでしょう。自分に誇りを持ち、『虎と龍のように並び立つ』関係です。

この物語では、要所で星が象徴的に使われています。 都会の夜空に星は少ないけれど、そうして淋しく光っている星は、むしろ都会のノイズに負けない強さを持っているのでしょう。あの写真は、「私も都会の星のようにがんばっているから見てて」、と言いたかったのでしょう。

ラストのモノローグは、つまりボーイ・ミーツ・ガールということでしょうけれど、単に運命とかではなく、お互いに相手にふさわしいように努力することで、この世で一人だけのパートナーを見つけられるんだよ、というメッセージでした。

ラストが卒業式というのも、ベタだけれどいいですね。みのりや亜美の恋は実らなかったけれど、彼女たちの人生はまだまだこれからで、ここから新しい世界に向けて羽ばたいていくのでしょう。亜美は転校すると言ってたのに、結局卒業までいたようだし。みのりと亜美の仲のよい様子は微笑ましいものがありました。

このところ、やや強引な感じもありましたが、最終回でとても綺麗にまとめてくれました。余韻のある良い最終回だし、よい青春ストーリーだと思います。僕の中では殿堂入りしましたよ。

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今回もGN粒子大活躍という感じでしたが、GN粒子の働きはそれなりに一貫していると思っています。機動戦士ガンダム00 2nd season 第24話 『BEYOND』 の感想です。

ファーストガンダム、およびその時間軸にある作品では”ミノフスキー粒子”が存在して、それを中心としたミノフスキー物理学と呼ばれる架空の学問があります。ミノフスキー粒子はレーダーを無効にする働きが有名ですが、それだけではなく、ガンダムの動力である熱核反応炉や、ビームサーベル、さらにニュータイプのサイコウェーブにも関わっているとされます。ニュートン物理学やアインシュタイン物理学に匹敵する、物理学の革命があったという設定ですね。

現在の物理学には、実はいろいろと不備や矛盾があったりします。その矛盾を解消し、すべてを説明できる理論は”万物の理論(TOE)”と呼ばれますが、まだ出来ていません。ミノフスキー物理学は、夢の万物の理論でもあるようです。

GN粒子もその手のもので、GN物理学と言えるものであり、きっと万物の理論なのでしょう。万物の理論は、電磁力や重力などのエネルギーを統一します。GN粒子は、それらの統一エネルギー(つまり謎エネルギー)を媒介するものなのでしょう。

分かっているGN粒子の働きは、こんなところでしょうか。

  1. モビルスーツなどのエネルギー源になる
  2. 推進力になる
  3. ビーム兵器になる
  4. 光学迷彩を作る?
  5. サイコウェーブ(脳量子波?)を伝達し、心が伝わるようになる
  6. 人間をイノベイターに変革させる?
  7. 擬似GN粒子による毒性を中和する
  8. イノベイターの脳量子波を乱す

どれも、GN粒子が謎エネルギーを媒介する素粒子だと考えれば説明できそうです。
今回、ラッセの体調不良が直ったのは、7番の働きによるのでしょう。

このところクローズアップされているのは、5番と6番の働きです。今回、刹那が完全に覚醒して、トランザム・バースト(TRANS AM BURST)が発動し、濃密なGN粒子が放出されました。

リジェネ: 「純粋なるイノベイターの脳量子波が、ツインドライブと連動し、純度を増したGN粒子が、人々の意識を拡張させる。」

「意識が拡張する」というのは、自分の意識が脳内から外に拡張して、同じく拡張した他の人の意識と直接対話ができる、というような意味でしょうか。

あまり親しくない相手とコミュニケーションするとき、メールでは言いたいことが伝わらなくて、電話で話したほうが伝わりやすく、直接会って話すとさらに伝わるということはありますよね。言葉以外の、表情や身振りなどによるコミュニケーションのことをノン・バーバル・コミュニケーションと言いますが、会話ではむしろそちらのほうが重要だとも言われます。

”拡張した意識”によるコミュニケーションは、直接対話のさらに上を行く、濃密な理解をもたらすのでしょう。人間関係の不幸の多くは誤解や行き違いが元になっていて、国際関係さえそれが元になっていたりしますが、それらが解消する可能性はあるでしょうね。

でも、心が伝わることがいつも良いとは限らないと思えます。例えば、人種差別や民族対立は、生理的な嫌悪感がベースにあったりするので、心が伝わってしまうと、むしろ助長されてしまうでしょう。
制作者もきっとそれは分かっていて、今回、ロックオンがサーシェスを撃ち殺してしまいましたが、これは”心が伝わる”のが悪い方向に働いた例なのでは。

だからこそ、
『GN粒子でわかりあう → 人類の意思を統一する』 ではなくて、
『人類の意思を統一する → GN粒子でわかりあう』 の順序なのでしょうね。まず意思の統一が必要で、そのための武力介入であり、刹那とツインドライブによる”意識の拡張”はその仕上げなのでしょう。

ん? マリナの歌はどうなったんでしょうね…

ティエリア 「我々の武力介入行動は、(中略)人類の意思を統一させることにあった。それは、人類が争いの火種を抱えたまま、外宇宙へ進出することを防ぐためだ。人類は、変わらなければ未来を紡ぐ(?)ことはできない。いずれめぐり合う、意思との対話に備えるためにも。そのためにも、僕たちは、」

刹那 「わかりあう必要がある。」

ここの「いずれめぐり合う意思」とは、先週リボンズが言っていた「未知なる種との遭遇と、来るべき対話」と同じことでしょう。
それをイオリアは200年前から予想して、準備していたので、近日中にそれは起こるのだと思っていましたが、ティエリアの”いずれ”という言い方が気になります。実は、かなり先の未来の話なのでしょうか。

外宇宙から何かが来るのだと思っていたのですが、”進出する”ということは、こちらから出迎えに行くのかな。リジェネも進出といっていました。あの巨大宇宙船は、その出迎えのためなのでしょうか。リボンズが”箱舟”と言っていたので、逃げるためのものというイメージがあったのですが。

前回のコメント欄で”Mrひjこにゃんドーさん”が指摘されていて気付いたのですが、宇宙船”ソレスタルビーイング”の形は、ソレスタルビーイングのマークに似てるんですよね。

ソレスタルビーイング(宇宙船).jpg

ソレスタルビーイング(エンブレム).jpg

いずれにしても、あの黄色いワッカは天使の輪がモチーフなのでしょう。つまり天使として、神の御許に還るということ? 

いろいろ妄想しつつ、最終回を待ちたいと思います。

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このところ感想を書くのをサボっていましたが、最終回ということで書きます。キャシャーン sins 24話 「巡り咲く花へ」 の感想。

「考えるな、感じろ」と言ったのはブルース・リーですが、この作品はそのように”感じて”楽しむのが正しいのでしょう。ストーリーは断片的にしか語られず、正直よく判らなかったのですが、あえてそうしたのでしょうね。すべて明快に説明するのは野暮であると。この物語世界や、キャシャーンの生きざまで何かを感じてくれればよいと。

でも野暮を承知で、不明点を自分なりに補完しつつ、解釈したものを以下に書いておきます。解釈というよりは妄想です。

かつて、ロボットたちは永遠の生命を持っていました。特殊なナノマシンの働きにより、それが可能になったのでしょう。永遠に劣化せず、新品同様のままでいられたわけです。

しかし、キャシャーンが看破したように、死なないということは、生きていないことも意味するのでしょう。永遠の生命に倦み、死に癒しを求める人々のために、ルナが作られました。ルナの血液(作動流体?)は永遠の生命の源であるナノマシンを破壊する機能を持っていて、死を求めるロボットに安らかな最後を与えました。

ルナを作ったのは、ブライキングボスなのか、あるいは別の人なのかはわかりません。いずれにしても、ルナに集い、死を求めるロボットが増加する状況に、ブライキング・ボスは危機感を持ち、ある実験プロジェクトに着手します。その狙いは、人間のように子孫を残し、人間のように寿命で死ぬロボットを作ることでした。オージはそのプロジェクトの中心人物だったのでしょう。

しかし、何らかの理由でそのプロジェクトは失敗しました。少なくとも、ブライキング・ボスは失敗したと考えました。そこで、失敗作のキャシャーンたちの再利用として、ルナ殺害を命じます。

キャシャーンとルナが戦い、二人の血液が交じり合ったとき、予想外のことが起こりました。ルナの”死を与える”ナノマシンと、キャシャーンの”子孫を残す”ナノマシンとの相互作用により、二種類のナノマシンが生まれたと考えられます。いわば”死のナノマシン”と”生のナノマシン”が。死のナノマシンは急速に自己増殖して、世界に蔓延しました。これが『滅び』です。

一方で、ルナとキャシャーンの体内のナノマシンは”生のナノマシン”に変化しました。それにより、ルナは永遠の生命を他者に与える機能を持ち、キャシャーンは不死身になりました。

ではリンゴは何でしょうか。これも妄想ですが、”子孫を残すロボット”の実験は、実はある程度成功して、レダは子をもうけたのでしょう。それがリンゴです。しかし、オージはその子供に情が移り、ブライキング・ボスに利用されるのが忍びなかったので、子供を隠して、実験は失敗だと報告したのではないか。父親はたぶんキャシャーンでしょう。

話は最終回に飛びますが、キャシャーンがルナに会いに来たのは、「永遠の生命を与えるのはいいが、それを押し付けるな」と伝えたかったからではないでしょうか。滅びで死にそうなロボットに生命を与えるのはいいけど、永遠の生命までは望まないロボットも多いので、やたらと永遠の生命をサービスするのは間違っていると。そんなことを続けていると、今度こそ殺しに来るぞという最後通牒です。

ルナは「死のない世界」を目指していましたが、キャシャーンにそういわれて、多少は自粛するようになったのでしょう。永遠の生命を希望しないロボットには、当面の滅びを遅らせる程度の癒しを与えるようになったのかもしれません。

一方キャシャーンは、かつてのルナのように、死に癒しを求めるロボットに、死を与える存在になりました。辛い仕事ですが、それも自分のオトシマエだと考えているのでしょうね。

リンゴは、子孫を残せるロボットであることはラストで仄めかされています。彼女がイブとなって、この滅びた世界に再生をもたらすのですね。ではアダムは誰なのか。既存のキャラではキャシャーンしか思い浮かばないので、きっとそうなのでしょう。キャシャーンが父親だとすると近親相姦になってしまいますが、聖書でも創世記の人々は近親相姦しまくりであり、頭数が少ないうちはやむをえないでしょう。

以上、余計なお世話の考察でした。ともあれ、”死とは、そして生とは何か”について、いろいろと感じさせてくれる作品ではありました。僕はプリンを思い浮かべましたね。子供の頃、給食にプリンが付く日は、ものすごく嬉しかったじゃないですか。何日も前からチェックして、その日は朝から楽しみで。

でも今では、プリンなんてスーパーに行けば3個で百円とかで売ってるわけで、特別なものでは全くないし、いつでも食べられるからといって、毎日食べようとは全然思いません。限りある生とは、給食のプリンみたいなものかなと思ったのでした。

最終回は総評をやることにしているのですが、すでにたくさん書いたし、今日はあまり時間が無いので(明日は5時起きで…)後日書きます。

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なぜいまさら前日談、とも思っていたのですが、これはこれで良いものでしたね。クラナド CLANNAD アフターストーリー 第23話(番外編) 「一年前の出来事」 感想です。

クラナドは、朋也と渚の絆を軸に、街の人々の絆を描く物語です。 朋也と渚には、お互いに意識していない頃から絆があって、人生に影響を与えていたというエピソードでした。 最近少なめだったコメディ成分も補給され、とてもクラナドらしい回だと言えます。

このアニメは、ゲーム原作ということもあって朋也の一人称視点が多いのですが、朋也が第三者視点で描かれるのは新鮮でもありました。特に杏視点が多かったような。

杏はなにげに、アフター(9話以降)での出番は多いんですよね。いわば友達代表なのでしょう。視聴者は、朋也や渚に感情移入しつつも、彼らを友達のように感じているところがあると思うのですが、杏がその友達視点を与えてくれています。 

杏と朋也のシーンは、旧知の友達に会ったような、会った瞬間に年月を超えて当時の自分に戻れるような、そんな気持ちにさせてくれるのでした。

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これまで溜めに溜めてきたものが爆発した回でした。とらドラ! 第24話 「告白」 の感想です。

全員が、自分の本心を明かさず、聞かれてもはぐらかし、他人の出方をうかがっているのがこれまでの展開でしたが、ここで一気に動きました。他の誰に言われたからでもない、「自分だけのやり方」で。

実乃梨のやり方は、竜児をずっと好きだったことを告白することでした。大河に譲ろうとしたのは傲慢だったと言いましたが、それは大河に対しても、自分に譲ろうとするのは傲慢だ、と言いたいのでしょう。お互いに気持ちを晒して、その上で竜児に選んでもらうという、真っ当なやり方の提案です。

その気持ちは大河には伝わって、彼女なりの不器用なやりかたではあったけれど、まっすぐに告白をします。微妙に邪魔が入った格好でしたが、竜児には伝わりました。

竜児のやり方は、「嫁に来い」とプロポーズすることでした。家族がいない大河を救うには、自分が家族になるしかないと思ったのでしょう。それによって自分は大人になり、ヤスコの重荷ではなくなるという一石二鳥の作戦でもあります。

その心意気はよいのですが、竜児のヤスコに対する態度はまだまだですね。友達にはあれだけ気を遣うのに、母親を平気で傷つけてしまうのは、まだまだ母親に甘えているガキだという証拠です。 駆け落ちという手段も、本人たちはオトナのつもりですが、あれは伝統的に幼い恋人達がやるものです。大河はすっかり遠足気分ですしね。

でもこれは、制作者も狙ってやってるはずで、ここまでは”幼い恋人達”を強調しているのでしょう。竜児が本領を発揮するのはここからのはず。実家を訪れた彼は、何かを決意しているようです。竜児は少年から男になれるでしょうか。

ヤスコが不憫です。息子から、「お前は人生の敗残者だ。自分の失敗を俺に押し付けるな。」的なことを言われてしまったのですから。心が折れてしまっても無理はないというものです。

竜児は実家に行くのは始めてのようなので、これまで実家に頼らずに子育てしてきたのですよね。大変だっただろうと思います。竜児と2人で残されたヤスコは、「自分の力だけで、この子を一人前にしてみせる」と誓ったのでしょう。お金に不自由させず、教育も受けさせてみせると。それはヤスコの意地です。他のことでは子供を拘束しているように見えないけれど、”お金のために勉学をおろそかにする”ことだけは許せない、譲れない一線なのでしょうね。でもそこを否定され、「ヤスコが頼りないから俺が稼ぐしかない」と言われたも同然で、自分は母親の資格が無いと思ってしまったようです。

実乃梨も残念だったけれど、彼女の側にいる存在として亜美はベストでしょう。実乃梨は何でも思いつめてしまいがちで、ちょっと恋がうまくいかないだけで「一生恋はしない」とか思ってしまうタイプです。だから、「あたしたちの歳で人生語るなんて早すぎるってーの」という亜美の言葉は、今の実乃梨に一番必要なものでしょう。

亜美も、他人と距離を置く性格なので、これまで本当の友人が出来なかったのだけれど、実乃梨とはお互いに弱みを見せ合ったことで、友達になれたのでしょう。

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恐れていた展開が現実に。序盤の青春ストーリーなところが好きだったのですが、物語はあくまでハードな方向に進むようです。RIDE BACK -ライドバック- 第10話 『Master of the war』 の感想。

”努力や友情が報われる”のが青春ストーリーだとしたら、この物語は何によって報われるのでしょうか。 琳はライドバックの才能に目覚めますが、それは呪われた才能でした。ライドバックは戦争の道具であり、琳の才能のために多くの不幸が起こってしまった。

ロマノフに対する包囲網が作られつつあり、一触即発の事態ですが、そちらのほうは比較的どうでもよくて、琳や仲間達が”報われるか”だけが気がかりです。仲間を守るため、琳は再びライドバックに乗るのでしょうけれど、その代償は大きいのではないかと。

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「人類を滅亡から救う、まさに箱舟だよ」とリボンズは言いましたが、人類に迫る”滅亡の危機”とは何でしょうか。機動戦士ガンダム00 2nd season 第23話 『命の華』 の感想です。

ガンダム00の設定が、アイザック・アシモフの『ファウンデーション』と似ていると言及する方は多いのですが、小松左京の『さよならジュピター』との類似性についての意見は、他で見たことがありません。私は1期の21話でそれについて書いていますが、今回の展開は「さよならジュピターなのか?」と思えるものでしたよ。

詳しいことはその記事を見ていただくとして、簡単に言えば、『さよならジュピター」は、外宇宙から飛来するブラックホールによって地球が滅亡の危機に瀕していて、それ回避するために、科学者たちが極秘で大プロジェクトを遂行するお話です。 

『ヴェーダの計画』もそれと同じで、人類を「外宇宙から来る何か」から守るための極秘プロジェクトではないか、と考えたのでした。イオリアは200年前にその危機に気付いて、少数の仲間たちと準備を始めたのではないかと。 今回、リボンズがほとんどそのまんまのことを言っていました。イオリアは2世紀以上も前から、未知なる種との遭遇と、来るべき対話を予見していた

あの巨大な宇宙船、『ソレスタルビーイング』は、”コロニー型外宇宙航行母艦”であり、”人類を滅亡から救う箱舟”なのだそうです。つまり、地球は滅亡するから、あれに乗って逃げ出そうということでしょうか。しかし直径15kmあるとしても、地球人類の全員は乗せられないですよね。

リボンズ 「人類は試されている。滅びか、それとも再生か。」

ティエリア 「だが、それを決めるのは君じゃない。」

これの意味は、あの”箱舟”に乗せる人をリボンズが選別しようとしていて、ティエリアは「お前にその資格は無い」と言っているのでしょうか。ティエリアはこの宇宙船の存在や、その意味を知っているっぽい。

”未知なる種との遭遇”とは、普通に考えれば宇宙人の来訪ということでしょう。外宇宙から未知の宇宙船団?が迫っていて、敵対的なのかどうかもわからない。そのために、まずは『イノベイター』による対話を試み、ダメだった場合はガンダム(あるいはアロウズ?)が前面に立って戦い、それでもダメなら巨大宇宙船で逃げる、という多段階の計画でしょうか。 『さよならジュピター』でも、まずはブラックホールの進路を逸らす作戦があり、失敗した場合のバックアッププランとして、宇宙船での脱出作戦(ただし一部の人に限られる)がありました。

しかし、予想はしていたとは言え、この段階で”未知なる種との遭遇”が具体化してくるのは驚きです。あと数話しかないですし、このところは”人と人がわかりあい、戦争を無くすにはそうすればよいか”というテーマに集中しているように見えたので、宇宙人はもう出ないのかな?と思っていました。どうまとめてくれるのでしょうか。 とりあえずはヴェーダ争奪戦でまとめて、”未知なる種との遭遇”については劇場版でね、となりそうな気もしています。

トランザム大発生には、ちょっと笑ってしまいました。秘密兵器だったはずのトランザムが、小魚の群れみたいにウヨウヨしていて、まさに雑魚扱い。 戦力のインフレ化が凄いわけですが、これもイオリアの計画なのでしょうか。2つの陣営にGNドライブを与え、戦わせることで向上させ、外宇宙からの脅威の備えようという。例えば航空機も、2度の大戦が無ければあれほど急速には発展しなかったわけで。

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”正義とは何か”がこの物語のテーマですが、その答えが出たのでしょう。鉄のラインバレル 第23話 『死に方が決める生き方』 の感想です。

個人的には、『正義』はあまり好きな言葉ではありません。正義を掲げるものが絶対に正しくて、反対するものは絶対に間違っている、という傲慢さにつながりがちだからです。

でも、浩一の『正義』はもっとシンプルなもので、彼なりの”カッコいい生き方”が『正義』なのですね。人々を守るために戦うことが最高にカッコよいわけで、そのカッコよさのためならば絶対に諦めないし、死ぬことも恐れない。

それは『武士道』とか『ハードボイルド』とかにも通じるものがあるでしょう。要するにやせ我慢ですね。怖くても怖いと言わないやせ我慢が、”男らしい”ということなのでしょう。今回の浩一には、なんとなく共感できました。

この物語に登場する男たちは、みんなそうなのかもしれません。森次も、加藤も、石神も。矢島も、道明寺も、桐山もそうでしょう。愛すべき馬鹿野郎共です。

一方で、異次元から侵攻してきた連中は、そういう感情とは無縁であり、全体最適化のために理詰めで行動しているはずです。『理詰め』 対 『馬鹿野郎』 の構図だと言えます。

敵は強大なので、彼らに勝つためには、彼らに無い持ち味を生かさなければなりません。ラインバレルの”秘められた力”がまさにそれで、ファクターの”馬鹿パワー”によって発動され、増幅する仕組みだと思われます。

理詰めの人に対して、馬鹿は天敵ですからね。浩一はうってつけのファクターだったわけです。マキナ人の菅原に理解できなくても仕方ありません。

今回の、侵略される地球の映像は、なかなかのスペクタクルでした。『V』とかUFOもののSFドラマを思わせて、懐かしかったり。

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「人と人の絆が集まると、素晴らしいことが起きるよ。」という、人間賛歌なのでしょう。クラナド CLANNAD アフターストーリー 第22話(最終回) 「小さな手のひら」 の感想です。

さまざまな不思議な出来事があり、それらの繋がりを十分に説明しないままに終わりました。すべてを綺麗にシンプルに説明するのは難しそうに思えますが、人それぞれの解釈をして欲しいという、制作者の意図なのでしょう。以下に私なりの解釈を書きます。

まず、キーワードは『』ですね。これは地理的なものというよりも、『人と人との絆の集合体』を象徴していると思えます。2人の出会いがあり、家族になり、家族が集まったものが『街』です。街が人と人の絆だとすれば、そこから生まれるさまざまな『想い』の集合体は街の意思と言えるのでしょう。渚もそう言っていました。

は、本来は子供のころに死んでいたはずが、街の意思によって命を与えられました。生き返った後の渚は、『街の精霊』とも言える存在なのでしょう。でもそうして与えられた命は不安定なものであるようで、街の変化の影響を受けて弱りがちで、ついには命を落としてしまいました。このとき、何かが足りなかったのです。

渚から生まれたも、街の精霊としての性質を受け継いでいて、渚と同様に命を落としました。このときも、何かが足なかったわけです。その何かに気づくことが、今回のポイントでしょう。

命を絶たれた精霊(汐であり渚でもある)は、『終わった世界』に閉じ込められました。この世界は、もう一つの本当の世界からは切り離されていて、肉体も記憶も行き来できないけれど、『想い』だけは行き来できるようです。それが光の玉で、朋也の『想い』も、光の玉に乗ってこの世界にやってきました。

朋也の想いは、少女(精霊)が戯れに作った人形(ボク)に宿りました。記憶は失っていたけれど、「この少女を救わなければならない」という想いだけは持っていたボクは、その想いを実行に移します。

その結果は、失敗に終わったように見えました。「これはいつか通った道かもしれない」、とボクは思い出します。ボクがいたから、この少女をむしろ不幸にしてしまったのではないか。ボクと少女は最初から出会わないほうが良かったのではないか。

少女は、そうではないと言いました。人々の想いが集まれば奇跡だって起こるのだから、それを信じなさい、と。

前述の『何か足りないもの』とは、つまりこれだと思うのですよ。人と人の絆の力を信じること。つまり街を信じることです。

渚が妊娠した頃から、彼女の体を心配するあまり、朋也は”渚と出会ったこと”に疑問を感じるようになりました。自分と出会ったことで、むしろ渚を不幸にしたのではないか。知らないもの同士で、絆を作らないほうがよかったのでは、と。 汐が病気になったときも、その気持ちに囚われていました。2人が出会ってしまった、この街がすべて悪いのだと。

でもそれではダメなのです。渚や汐は街の精霊なのだから、そうやって人と人の絆を否定して、街を否定することは、渚や汐を否定することに他ならない。彼女たちが急速に生命力を失ったのはそのせいでしょう。街も助けてはくれなかった。

でも朋也(ボク)は、幻想世界で自分のあやまちに気づかされました。渚と出会った、その絆を信じることにしたのです。こうして”足りなかった何か”が補完され、街が奇跡を起こしてくれたのが、あの結末ではないでしょうか。

人と人の出会いは、必ずしも幸せなことばかりではなく、むしろ厄介ごとは常に人間関係から発生します。でも、そうだとしても、全ての幸せもまた、人との絆から生まれるのであり、その絆を集めていくことでみんなが幸せになれるのだ、という、性善説に基づく人間賛歌が、この物語のテーマだと思いました。

ラストを風子で締めたのは、やや意外でしたが、彼女もまた、街に命を与えられた街の精霊なのかもしれません。汐に惹かれているのはそのせいでしょう。ここで新たに汐と風子の絆が生まれ、そのことがまた沢山の幸せを、この街にもたらすのでしょう。そんな予感を残したハッピーな結末でした。

前回が、感想を書けないくらい辛かったので、このエンディングでよかったと素直に思えます。”感動の嵐”というよりは、じんわりと”いい話”ですね。

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マザコン竜児は男になれるのか。とらドラ! 第23話 「進むべき道」 感想です。

亜美は、実乃梨ではなくて大河のことを応援していたのか。実乃梨にしきりに絡んでいたのは、実乃梨を応援するためだと思っていたのですが、深読みしすぎていたのかも。いまいちピンときていませんが、なにか見落としているのかもしれません。 ともあれ、”大河を応援している”ことだって、亜美の本心ではないはずで、なにかと複雑な人です。

以前に大河はファザコンだと書きましたが、竜児は(悪く言えば)マザコンでしょう。母親と自分の絆を何より大事にしていて、”ヤスコを守る”ことに偏執的にこだわっていて、つまりヤスコに依存しています。

母親に守られていたボーイは、いつかマンにならねばならないのです。「男は一歩外に出ると七人の敵がいる」わけで、そんな優しくない世界にあって、二本の足で一人立ちしてこそ男でしょう。そのためには、将来についてもっと真剣に考えなければならないのに、竜児は”母親と離れて一人立ちする自分”について考えることを怖がっているようにも見えます。

大河に対しても、彼女の表面的な願い(告白を聞かなかったことにしてほしい)だけを守ろうとして、その下にある本当の気持ちに踏み込もうとはしません。マザコンの彼にとって、女性は神聖不可侵な存在なのでしょう。でも男なら、女を奪わなければ。フェミニストの人には怒られそうですが、本質的にはそうだと思っています。 奪う相手は実乃梨だったり、大河の父親だったりするのでしょう。 

竜児が不甲斐ないから、実乃梨にあそこまでやらせてしまいました。「お前は俺のことが好きなのだから、四の五の言わずに俺の女になれ」くらい言うべきでしょう。まぁ、このお話ですから、そこまでダイレクトな展開にはならないでしょうけれど、竜児がいかに”ボーイからマンになるか”に注目しています。

ちなみに”ボーイがマンになる”というのは、氷室冴子さん(惜しくも最近亡くなられました)の小説にあった表現で、好きなんですよね。そういえば、とらドラの原作小説を1巻だけ読んでいるのですが、どことなく、心理描写のタッチなどに氷室冴子さんの影響を感じました。

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「武士道とは、死ぬ事と見つけたり」の葉隠思想は、ミスターブシドーにふさわしいと思いましたよ。機動戦士ガンダム00 2nd Season 第22話 『未来のために』 の感想です。

これを説いた山本常朝という人は、江戸時代中期の、武士がすっかり平和ボケしてしまった時代に生きた人です。いわば『遅れてきた武士』で、そんな彼が戦国の世の、命のやりとりをしていた武士を懐かしんで書いたのがが『葉隠』だと言えます。

ミスターブシドーも『遅れてきた武士』であり、葉隠思想に感化されちゃうのも無理はないのでしょう。でもこれを、「武士とは死ぬことに価値がある」と解釈するのは勘違いだと思えます。「死を恐れずに、為すべきことを為せ」というのが本意でしょう。

つまり葉隠の武士道というのは、まず為すべきことがあるわけです。戦国であれば、国を獲るとか守るとか。そして、それを行うための規範が”武士道”であって、”武士道”そのものが目的では無いのですよね。でもミスターブシドーことグラハムは、武士道を極めること自体が目的のようです。

彼のその執念は、それなりに強いものだったのだけれど、”為すべきことがある”刹那に負けてしまいました。二人の差は、どちらがより確固たる信念を持っているか、だったのでしょう。グラハムは彼の”為すべきこと”を見つけられるでしょうか。

CBの連中は、それぞれの理由は微妙に違うけれど、為すべきことは、『ヴェーダを奪還し、イノベイターから人類の未来を取り返す』でがっちり固まったようです。刹那の存在感は大きいですね。自然に場の中心になっていて、みな刹那の確信した表情を見て安心しているようでした。この調子で、人類を導く存在になっていくのかな。

だからフェルトが惚れてもいいんじゃないでしょうか。マリナ姫との3角関係のラブコメ…にはならないだろうけど。

そして驚きのラストですが、これからどうなるのか。死んだと思ったキャラが生きているのは、このアニメではありがちですが、今回はきっちりヘッドショットですから、少なくともあの個体は生物学的に死んだと思えます。

まず考えられるのは、リボンズ(のあの個体)も操り人形であって、黒幕が別にいるという可能性です。精神制御能力を持っているのは、実はそちらのほうということになりますね。 黒幕は、リボンズのクローン(クローン元)かもしれないし、未知の人物かもしれません。

ヴェーダという可能性もありますが、ヴェーダとリボンズが一体という雰囲気はあまり無かったので、それは違うかなと僕は思っています。もし一体であれば、ダブルオーはリボンズ側が持っているはずで。

あるいは、本当にリボンズはうっかり死んでしまって、リジェネが次回からは敵役という可能性もありますね。イノベイターはイオリア(ヴェーダ?)の手の上で踊っているだけなので、誰がトップになろうとも計画は大差無い、みたいな展開かもしれません。 イノベイターの小物ぶりを印象付けるエピソードが必要であれば、アリな気がします。

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この展開は予想していなかったですが、今から思えばヒントはいろいろありました。鉄のラインバレル 第22話 『鬼を喰らうモノ』 の感想です。

7話で、加藤がJUDAに乗り込んできたときですが、アタッシュケースに入っているものが金塊かと思ったらカステラで、しかもカレー味、というエピソードがありました。「もっとよく観察し、情報を精査して考えたまえ」と。 目に見えているものではなく、その下にある本質を見抜けといいたかったのでしょう。

その後も、加藤は一環してそういう意味のことを言いつづけてきました。 加藤機関は世界征服をすると標榜していましたが、それは表面上のことで、実は世界を守るために戦っていたというわけです。

加藤のやりかたは、荒療治で人類の目を覚まさせることで、それに疑問を感じた石神は、目的を同じくしつつも、加藤機関を離れたのでしょう。でも石神の離脱も加藤が黙認していた気がします。すべて加藤に掌握されていたのでしょう。

加藤は浩一に「想像せよ。それが生きるための力そのものだ」と言っていましたが、森次が浩一に教えようとしたのもそのことなのでしょう。ラインバレルは、ファクターの強い意志に反応することで本来の力が出せるようです。浩一は追い詰められ、仲間たちを守りたいと強く思うことで、その境地に達しました。

ラインバレルの本来の力とは『マキナ殺し』のようです。マキナ化した異次元人?との戦いに特化したマキナですね。JUDAのマキナの役割分担はちょっとバランスが悪くて、ラインバレルとヴァーダント以外は支援機なのは何故かと以前に書きましたが、理由が分かった気がします。 つまりヴァーダントはラインバレルの教導機で、他のマキナはぜんぶラインバレルの支援機なのでしょう。

加藤が浩一のことを、以前から高く買っていました。「想像以上だったよ」とか言ってましたね。浩一は名実共に『世界を守る』存在になったわけですが、それを当然のことと思っているようで、あの気質は確かに逸材なのでしょう。

でも今回は、何といっても森次さんでしょうね。この”どんでん返し”の展開は、きっと森次というキャラを描きたかったためで、やや無理っぽいところも森次さんに免じて許せる気がします。彼は自分が行ってきたことに、必要なことだったとはいえ罪の意識を持っているようで、それが気がかりではあります。

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自分がどうしたいかではなく、他者の期待に沿って行動してしまうという竜児の性格が浮き彫りにされていました。第22話 「君のいる景色」 の感想です。

ヤスコは自分のことを「スーパーお母さん」と称していましたが、彼女はその名に恥じないでしょう。女手一つで、竜児をあんな立派な男に育てたのだから。ふわふわしているように見えて、きっとすごくがんばってきた、偉大な人ですよ。

竜児はそんな母親に育てられたから、自分の希望よりも、周囲の期待に応えたいメンタリティが形成されたのでしょう。トップレベルの成績を維持しているのも、将来何がしたいというよりも、母親を喜ばせたいからで、ゆり先生から「高須君自身がどうしたいのかが見えない」と突っ込まれていました。

思い出のダンボール箱を引っ張り出したのは、大河に「片思いは情けないけど、恥ずかしくはない」と言ってやりたいからでしょう。そうして大河を励ましてやりたいと。でも自分でも気づいたように、竜児の口からそれは言えないわけです。

となると、竜児にできることは、大河の想いに答えるか、告白を無かったことにして気持ちを楽にしてやるか、の2択です。どちらにするかは決めかねていたようだけれど、ベランダの会話で、大河が「無かったことにしたがっている」ことに気づいて、後者を選択しました。

ここでも、大河の期待に反応しただけで、竜児がどうしたいのかは判断に入っていません。このまま周囲に合わせているだけでは何も進展しないので、竜児自身が『どうしたいか』に気づいて行動することが、物語が動くために必要なのでしょう。

前回の記事で、

・亜美は竜児と実乃梨のことを応援しているのだが、それを素直に出せず、むしろ引っかき回していることを反省している
・その反面、亜美も竜児のことが好きなので、実乃梨を邪魔したい潜在意識もあり、そのことで自己嫌悪に陥っている

のではないかと書きました。これが正しいとすると、亜美はトリプルで落ち込んでいるわけです。実乃梨への罪悪感、自己嫌悪、そして失恋。

実乃梨が亜美を追いかけてきたのは、亜美が自分のことで悩んでいるのに気づいていて、「自分はもう吹っ切れたから心配するな」と言いたかったのでしょうか。

でも亜美にとっては、それは自分の失敗の結末なので、そんな話は聞きたくないわけです。うぜぇと言いたくもなるでしょう。そしてますます落ち込むのであった。ネガティブスパイラルですね…。

自販機の隙間に入るのは、転校当初の癖で、彼女の満たされない心を表しているのでしょう。人との間に壁を作り、腹を割って話せる友達がいないという。そんな彼女にとって、大河や実乃梨は自分をさらけ出せる数少ない友達であり、大事にしているはずです。でも彼女は友達を失って、恋は諦めて、自販機の隙間に逆戻りしてしまった。

実乃梨は、見えないもの(恋愛)に憧れるのはやめて、見えるもの(部活やバイトなど、今できること)に集中することにしました。彼女にとって、後者も大事なものではあるのでしょう。そもそも彼女はそういうポリシーだったので、以前の実乃梨に戻ったとも言えて、今回は調子を取り戻したように見えました。でも、彼女は以前とは変わってしまったはずなんですよね。

残り回数が少ないですが、自分を押し殺しているヒロインたちが、開放される結末を切に望んでいます。 マンガとかラノベ等の感想ブログさんによれば、今回から原作9巻の内容になり、10巻で完結だそうなので、きっちり決着をつけてくれるのかもしれません。

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ペタベタのスポ根ものパロディであり、ここまでやると潔くはあるかな。宇宙をかける少女 第9話 『Q速∞』 の感想です。

想像ですけど、最初は
「学園モノだから、日常エピソードでスポーツでもやらせては。」
という話から始まり、
「ならば野球はどうか。QTを使った魔球を投げるとか。」 
「魔QT! となると、鉄バットで特訓とか、ピッチャーの肩が限界とか、そういうエピソードも入れないとな。」 
と発展して、結局は番外編になったんじゃないかと。 スター・システム(同じ登場人物で別の作品をやる)は舞-Himeシリーズでお得意ですし。 

1話にスポ根もののエッセンスを詰め込んで、それなりにまとまっているのは凄いです。爆発オチはいまいちで、ボロボロになった二人が肩を抱き合うようなエンディング(バックはもちろん夕日)のほうが良かったと思えますが。

本編でも、QT能力者に対する差別がほのめかされていましたが、番外編ではさらに露骨で、ほとんど排斥されています。やはり本編でも”能力者と非能力者の対立”がテーマになるのでしょうか。

秋葉は番外編ではQT能力者ですが、本編でも覚醒することになるのでしょうね。それが『宇宙をかける少女』の素質なのか。

ほのかがキャッチャーというのは、うまい設定だと思いました。魔球の弱点は、往々にしてキャッチャーなんですよね。絶対打てない魔球はキャッチャーも捕れないわけで、試合では使えません。そしてキャッチャーが捕れるならば、その魔球は打てるはず、ということになります。魔QTを捕るには、キャッチャーも高度な能力者であることが必要でしょう。

というわけで、まぁ面白かったのですが、こういうのが求められているのかはちょっと疑問。 息抜き回をやるなら、ギアスの学園祭回みたいなドタバタエピソードでよかった気がしますが、普段がそのノリなので、違うことをしたいというのはあったのでしょう。

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レイフォンは”燃え尽き症候群”でしょうか。鋼殻のレギオス 第8話 「かつての敵は廃都と成り果て」 の感想です。

バリバリ働いて、社会的地位があり、お金も稼いでいた人が、あるときふと「自分は一応成功したけど、これって何か意味あるのか?」と疑問を持ち、急速に仕事へのやる気を失って引退してしまう、ということがままあるようで、”燃え尽き症候群”と呼ばれます。怖いですね。”萌え尽き症候群”なら本望ですが。

レイフォンは若くして『天剣授受者』になり、たいへんな重圧の下で生きてきたでしょうから、この若さで燃え尽きても無理は無いのかもしれません。汚染獣の本当の恐ろしさを知っているだけに、「本気で襲われたら自分の力も役に立たない」と悟っているところもあるのでしょう。だから「勝つことにたいした意味はない」と。

ニーナはまだ伸び盛りなので、自分やチームが強くなることがうれしくてたまらないわけで、レイフォンとの温度差は決定的です。レイフォンは基本的には優しい奴なんだけど、それでも水を差すようなことを言わずにはいられなかったのでしょう。

レイフォンは、グレンダン出身の連中から裏切り者呼ばわりですが、燃え尽きたことが”裏切り”の結果なのか原因なのか、それはまだ不明です。

どことなくナウシカに似た雰囲気がありますが、今回の汚染獣に滅ぼされた町は、ナウシカのペジテ市を思わせます。まぁ、懐かしくていいかな。

リーリンが可愛いですね。メイシェンとキャラがかぶっている気はするが、メイシェンよりはしっかりもので、よりケナゲな感じがします。手紙を読んで、「いつからこんなこと書けるようになったのかな」とニヤニヤしていますが、それはレイフォンがより女性の扱いが上手くなったということであり、危機感を抱くところではないかと。>リーリン

いまはツェルニ側とグレンダン側とで完全に分かれて進行していますが、いつか交わるのでしょうね。リーリンとフェリの対決を楽しみにしています。

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ライドバックは人間とシンクロするのか。RIDE BACK -ライドバック- 第8話 「GET RIDE!選ばれし者」 の感想です。

ロボットアニメでのロボットの操縦方法には、いくつかのタイプがあります。分類するとこんな感じでしょうか。

  1. マスタースレーブ
  2. 半自律動作
  3. 脳波コントロール

1のマスタースレーブとは、人間が行った動作をロボットがトレースする方式です。ライディーンがそうでしたが、例が古すぎますか。マスタースレーブですべて行うのは非効率なので、半自律と組み合わせたシステムは”セミ・マスタースレイブ”とも呼ばれ、フルメタのアームスレイブはそれです。

2の半自律動作が、主流の方式でしょうね。人間が操縦桿などでコマンドを与えると、ロボットが自動的に最適な動作をするという考え方です。そのソフトウエアのチューニングが重要という設定もありがちでしょう。

3の脳波コントロールは、おそらく最強の操縦方式で、マクロスのYF-21やVF-27がこの方式です。エヴァもこの一種でしょうか。

で、ライドバックなのですが、普通に考えれば2の『半自律動作』なのでしょう。キーファもそのように説明していて、ソフトウエア(OS)の重要性についても語っていました。

でもキーファの言う、「マシンと人間が互いに限界を超えたときに見える、まばゆい光景」というのは何でしょうか。単に、ランナーズハイのような脳内麻薬で高揚した状態かもしれませんが、あるいは、ライドバックと人間の脳がシンクロした状態かもと思ったりします。

3話で、フェーゴのACSが不可解な設定(一見すると無意味)になっているという描写がありましたが、そのASCの図は人間の神経のネットワークのようにも見えました。 岡倉は、偶然かもしれないけれど『人間の脳とシンクロできるACSの設定』を発見し、そのおかげでアリゾナ戦役で勝つことができた、というのが僕の仮説です。ただし、シンクロ適性のある乗り手は少なく、その適性があることをキーファは「ライドバックに選ばれた」と言ってるのかなと。

キーファと琳がペアで舞うシーンは、バレエのパ・ド・ドゥを思わせました。 キラキラシーンがやけに強調されていて、あれが”まばゆい光景”ってことなのでしょう。

琳は、ライドバックに乗ったことで自分や弟の人生が狂ったわけなので、しばらくは乗りたがらないと思っていましたが、わりとあっさり復帰しましたね。残り回数も少ないし、欝シーンが長いよりは良いですが。 

BMAは琳と岡倉をあっさり開放しましたが、捕らえて何をするつもりだったのでしょうか。 琳を捕らえる → 岡倉をおびき寄せる → GGPをおびき寄せる → 殲滅 ということかな。なかなか回りくどいですが。 だとしたら琳や岡倉にとって、BMAは味方とは言えず、これから2人がどうするのか気がかりです。

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今回は、『憎しみの連鎖』のむなしさに多くの人々が気付くという、転換点になったのでしょう。機動戦士ガンダム00 2nd season 第21話 『革新の扉』 の感想と考察です。

同時テロ以降、『憎しみの連鎖』という言葉をよく聞くようになりました。憎しみに駆られて戦って、たとえ勝ったとしても、それが新たな憎しみを生み出し、次の戦いを引き起こす。それが連綿と続くのが憎しみの連鎖です。この世界から戦争がなくならない、主な理由だと言えます。

その連鎖を断ち切って、人々が分かり合うにはどうすればよいのか、というのがこの作品のテーマで、これまでも繰り返し語られていましたが、今回は特に、最初から最後まで一環してそのテーマで押し通していました。

王留美 ← ネーナ ← ルイス の連鎖はルイスが勝者となって本懐を遂げましたが、全く幸せそうには見えず、むしろ苦悩が深くなったようです。恋人と決別してまで戦ってきた意味は何だったのか。

アニュー ← 刹那 ← ライル の連鎖は、ライルが思いとどまりました。憎しみの連鎖に流されないことが、ガンダムマイスターの資格でしょう。 このシーンのために、アニューを(やや唐突に)殺したのかもと思ったりします。

カタロンの人々も、『連邦政府のやり方は気に入らない』と否定するだけが能ではなく、分かり合うこともできたのではないか、と気付き始めているようです。 アフリカタワー崩壊の大災害で厭戦気分になっている一般市民にも、マリナ姫のステキな歌が心に響いているらしい。

でも、戦いに疲れて一時の平和が訪れる、というのはこれまで人類が繰り返してきた歴史であって、そのままではまた戦争は起こるでしょう。それを根本的に解決して『人々がわかりあう』ために、イオリアが計画したことが『人類の革新』なのでしょう。

「(刹那が)純粋種だと言いたいわけ?」とイノベイターの人が言ってましたが、純粋種とは何でしょうか。 その言葉で『ヴァンパイア騎士』の”純血種”を連想しました。純血種とは純粋な吸血鬼で、純血種が人間の血を吸うと、吸われた人間は(非純血の)吸血鬼になり、純血種には絶対服従、という設定でした。

『純粋種』もそういうものなのかなと。おそらくリボンズは純粋種で、他のイノベイターたちは、アニューやルイスも含めてリボンズの株分けみたいなものだと思われます。そして、リボンズに服従する因子が組み込まれているのでしょう。 刹那はそうではなく、リボンズと同格の、リボンズに操られないイノベイターなのだと想像します。それが純粋種だと。

前回のコメント欄でも議論されていましたが、リボンズの目的は、人類の多く(少なくとも支配階級)を”イノベイター化”して操ることだと思うのですね。つまりファウンデーションで言えばミュール的な存在です。(ファウンデーションとの類似性については1期19話の記事を参照)

刹那はダブルオーの力を借りることで、人々を革新させることができるのでしょうか。だとしたら、リボンズの同業他社ということになります。刹那は、CBの中にありつつも独自の活動をしているので、彼こそが『第二ファウンデーション』と言えるのかも。

この、リボンズ 対 刹那の構図に、ヴェーダがどう関わってくるのかが核心なのでしょう。

刹那とブシドーは、行き違いで対立しているに過ぎないのですが、全裸空間で二人がそのことを理解して、対立に終止符を打てるかどうかが、刹那にとっての試金石となりそうです。

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