この戦いに英雄は必要なのか。 Fate/Zero 第17話 『第八の契約』 のレビューです。
この作品のドラマが非常に壮絶なのは、登場人物たちが聖杯のため、あるいは聖杯を求める人のためであれば、自分の命がどうなっても構わないと考えているからでしょう。 アイリスフィールも、遠坂時臣も、言峰綺礼もそう思っています。 特に綺礼は、一旦は聖杯戦争から脱落したはずなのに、また懲りずに戻ってきました。
そもそも聖杯というのは、「七体の英霊の魂を束ねて生贄とする」ことで現出するのだそうです。 英霊を召喚して殺し合いをさせるのは、そのためだったのですね。 そして最後に勝ち残った英霊さえも、生贄にならなければならない。 聖杯とは人の魂を供物として要求するもので、ということは、聖杯を求めることは命を捨てるということなのでしょう。 聖杯に近づけば近づくほど、死に近づくわけです。 遠坂時臣もその覚悟はしていましたが、あっさり聖杯の供物となりました。
自分の命がどうなっても構わないのであれば、他人の命は、なおさらどうなっても構わないのです。 だからこれは戦争というよりは、本質的には殺し合いなのでしょう。 ルールらしきものはあったのですが、審判は殺されてしまったし。 前回のケイネスに続いて時臣も、堂々たる対決ではなく、だまし討ちで命を落としたのでした。
虚淵さんらしい、えぐいストーリーですね。 英雄譚ではなく、血に飢えた聖杯をめぐる、ルール無用の殺し合いの物語です。 どう決着するのか想像できません。 そしてその凄惨な戦いの中で、英雄王のセイバーは英雄でいられるのか。 彼女の存在意義が問われることになります。
戦争でさえない”殺し合い”に、英雄は必要無いと思えますが、でも逆に、聖杯の言いなりになって血を流しあえば、みんな死ぬしかないわけで、ならば聖杯に逆らって、あくまで英雄であることが活路なのかもしれません。 三人の王が残ったわけですが、王たちが殺しあうのか、あるいは別の道を選ぶのか、興味は尽きません。
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えーアニメではちょっと説明不足だったんですが、英霊七人を生け贄にすると完全な聖杯がでるんですが、六人でも一応聖杯は出現します。
魔術師の「根源への到達」に関しては七人の生け贄が必要だということです。
なので、それ以外の願いは、切嗣の願いだとかは、六人の生け贄でも叶います。
おそらくウェイバーの願いとはかならもっと少なくても大丈夫。
ここらへんはStay Nightの原作のほうで詳しく説明がされています。もしくはZero小説で。
ちなみに、ネタバレになるので詳しく言えませんが、アイリは自分の命はどうなってもいいと思っているのではなく、もともとそういう役割であるということですね。
綺礼に関しても聖杯によって自身の願望を具現化させたいために、死にたいとは思っていないはずです。
ちなみに、時臣の願いだと七人の生け贄が必要で、綺礼の願いであれば七人必要ないのです。なので、ギルガメッシュが賛同したということですね。
なるほど、願いの規模によって必要な生贄の人数が違うのですね。でも切嗣の「人類が二度と戦いで血を流さないようにする」という願いは、すごく大規模な気はします。
アイリはホムンクルスなので、聖杯戦争のために死ぬために作られたのでしょうけれど、聖杯のためというよりは切嗣ならば死んでもいいと思っているようです。
綺礼は積極的に死にたいわけではないでしょうけれど、聖杯が生贄を求める血に飢えたものである以上、聖杯戦争に参加することは死に限りなく近いわけで、わざわざそこに戻ってきたということは、自分の命よりも聖杯の方が大事だと考えているようです。
■Kattyさんコメントありがとうございます!
そうですね。謀略の張り合いですが、損得だけではなく、好悪や愛憎といった感情的なものにも動かされているので、複雑なドラマになっていると思います。
これまで暗躍といえば切嗣でしたが、ギルガメッシュと綺礼がそのライバルとなるのでしょう。
いずれにしても、時臣の死だけでなく、生贄になるために戦うというこの物語の骨格自体が、凄惨だなぁと思うのでした。