わりと突き放した結末でしたが、言いたいことはわかる気がします。 [ C ] CONTROL 第11話(最終回) 『control(未来)』 のレビュー。
「しょせん金は金か、それともそれ以上のものか」というのが、この作品のテーマで、「しょせん金は金であり、それ以上のものではなく、幸せや未来を決定するものではない」という結論なのでしょう。
壮一郎は、日本の”今”を守るために、未来から借金して金を集め、日本を買い支えようとしていました。 そうしないと「C」の襲来によって日本が消滅すると考えたからです。
一方で、公麿、ジェニファー、竹田崎らは、それを妨害し、逆に日本の価値を暴落させました。 日本の価値がほぼゼロになったことで、ミダスマネーの価値も失われたから、金融街も影響力を失い、「C」は日本を素通りしたのでしょう。 金は無くなってしまいましたが。
でも、未来は残りました。 街には子供達が戻り、人々の表情は明るくなりました。 結局、大切なものは金では無かったのです。
先の震災で、日本は甚大なダメージを受けましたが、「また立て直しましょう」と明るく言うお年寄りがいました。 第二次大戦などで、日本が破産の淵に追いやられても、そこから復活した歴史を見ているからです。 第二次大戦で負けた直後、日本の金銭的な価値はほとんどゼロ、あるいはマイナスだったと思えます。 工場は廃墟で、企業活動は止まっていて、食料を買う金もなく、軍人遺族の恩給は重くのしかかる。 そんな状態からでも復活したのです。
しょせん、金は金なのでしょう。 金が無くても、人がいて、未来があればやっていけます。 日本円の価値がゼロになったということは、国債の価値もゼロになったわけで、借金がチャラになったのはいいことです。 貯金があった人も、借金があった人も、みな平等になったのでしょう。
この作品は、巨大経済の脆さを、「金融街」という架空のものを通して描き、警鐘を鳴らしているのかなと思っていたのですが、そうでも無いのですよね。 謎の男が、以下のように言っていました。
「正解なんて無い、みんな正しいんだ。みんなが世界を良くしようと戦って、そして世界はより良くなった」
「どんな邪悪なものにも、どんな悲惨なものにも、かならず人類をより良くするための意味がある」
「邪悪なもの・悲惨なもの」というのは、巨大で不安定な経済システムのことでしょう。 でも様々な失敗を通して、そのたびに世界はより良くなったはずで、今回の災厄も、長い目で見れば良い結果になるだろうと。 「人類の未来は明るい」という、楽観的な世界観でした。 現代の、人々が自信を失っている時代には、そう考えるのがいいんじゃないかと、僕も思います。
壮一郎が、”今”を守るために金を集めていたのは、日本のためでもあったけれど、妹へのこだわりでもあったのですね。 「今日がずっと続けばいい」という妹の弱音を、真に受けてしまっていた。 でも公麿は、「否定して欲しかったんじゃないのか」と言います。 お前に明日はあるよ、未来は来るよと。
Qが戦いをやめたのは、自分が戦って勝ち続けるのは、壮一郎のためにならないと気づいたからでした。 自分が壮一郎を”今”に縛り付けているわけで、それは壮一郎の望みでも、また自分の本当の望みでも無いのだから。 どんなに辛くても、今に留まるよりは、未来に願うほうが圧倒的に正しい。
いろいろと、謎は残りました。 真朱の正体は何だったのかなとか、父親のアセットとの関係はどうなのだろうとか。 でも、過去のことは過去のことだし、未来はわからないけれど、きっと明るいはずです。 未来のどこかで公麿と真朱は出会うはずと、想像できる結末でした。
羽奈日とは疎遠になっているようなので、やはり真朱は公麿の未来の嫁なのかな。あるいは娘なのか。 何か、それをほのめかすシーンは欲しかったなと思ってしまいます。 この突き放した終わり方も、余韻があっていいですけど。
全体として、謎めいたスリリングなストーリーで、発散気味になりながらも、きっちり決着をつけました。 企業経営を模した戦闘システムや、国際金融を舞台にした壮大な設定は素晴らしいし、説得力がありました。 映像も面白く、優れた作品です。 願わくば、2クールくらいでじっくり楽しみたかったところです。 時間があったら、もう一度最初から見直して、語られなかったところをいろいろ想像してみようと思います。
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所詮金は金、というテーマ。素敵ですね。金融街から日本を切り離すために日本円という『金』を切り離し『未来』を買い戻した訳ですね。
すっきりしました。ありがとうございました。
この作品、とても良いと思うのですが、やや分かりにくいところで評価を下げているのが残念なんですよね。