かつてないほど重いテーマを、時に軽やかに、時に感動的に描いた作品の結末。AngelBeats! 第13話 『Graduation』 の感想です。
この作品は、理屈よりも感覚に訴えていると思えます。というのも、テクニカルには突っ込みどころはいろいろあるわけですよ。尺のわりに登場人物が多すぎるとか、世界観を感覚的な言葉(「愛」とか)で語っていて、いまいち説明しきれていないとか。
今回だけ見ても、その縮図でした。『Graduation』というサブタイトルからして、戦線メンバー全員での卒業式になるのかと思ったら、そうはなっていません。多くのメンバーの”卒業”を端折ったのは残念なことではあります。
でも、あの5人だけの卒業式には、確かに訴えるものがありました。本来、学校って人が多いところなので、人が少ないというだけで、反動で大きな孤独感を感じるものです。それが、卒業式に本来ある”別れの寂しさ”を盛り上げて、あのシーンを感動的にしていました。 「トップをねらえ」のオマージュではとも思えますね。あれも二人だけの卒業式のシーンがあり、屈指の名シーンとして印象に残っています。卒業式と、人のいない校内の様子(にぎやかさの残滓)がオーバーラップされる演出が共通しています。
そして、音無の選択です。ここまで聖人君主のようだった音無ですが、最後の最後にわがままを言いました。「この世界から去るのが正しい」と言っていたのに、自分はこの世界に残り、かなでを付き合わせようとしている。これもテクニカルにはどうかと思いますが、僕は妙に感動しました。そんなにも、かなでのことが好きだったんだなと。
『心中物』というジャンルがあります。ままならない世界で愛し合う二人が、最後に死を選び、来世で結ばれることを望むというストーリーで、昔の悲恋物の多くがこれですね。「生きることよりも愛を選ぶ」ことで、愛の深さを示す効果があります。
一方でこれは、言わば『逆心中物』でしょう。「死ぬことよりも愛を選ぶ」という。死んで新しい人生を送るよりも、愛のためにこの世界に閉じ込められたい、という音無の選択は、彼の愛の深さを表していました。これまであまり感情を表さなかったのが、あそこで爆発したのですね。なるほど、確かに彼は『愛』をこの世界に持ち込みました。
あのまま、音無はこの世界に一人で残って『神』を引き継ぐ、というラストもありえたと思えます。あるいは、生まれ変わった後を描くのであれば、いっそ音無とかなでが恋人になり、かなでが思いっきりデレる様子を見たかった気もします。結局デレませんでしたからね。でもそれもやりませんでした。
この結末になったのは、この物語のテーマに直結しているからです。「たとえ理不尽であっても、自分の人生はたった一つであり、それを生きるしかない」というのがメッセージです。そして、「一生懸命生きていれば、それは何らかの形で、次の人生でも報われるはず」という。
ロールプレイングゲームなどで、『2周目』をプレイするときに、前回のクリア時に持っていたスキルの一部などを引き継げる、というシステムのものがあります。この物語で語られる死生感は、それに近いのかなと。一生懸命生きていれば、生まれ変わったときに記憶を失っていたとしても、何かを引き継げるはずだと。そのために、人生には意義がある。あのラストは、二人があの歌と、その想いを引き継いだことを表していました。
そう、この物語のテーマは『死生観』でしょう。死んだらどうなるかを考え、それを通して生について考えるという。こんな重いテーマを扱ったアニメが、過去にあったでしょうか。『火の鳥』は近いかもしれませんが、僕はここまでストレートに突きつける作品を知らないし、作者が暗示する答えには、考えさせられるものがありました。感情を大きく動かされたので、僕はこの作品に感動させられたと言えます。忘れられない作品になるでしょう。
ポチッとしていただけると励みになります!↓

私はこのAngel Beats!というアニメには最初少しも興味が持てず、第一話が始まっても、なにも思うものがありませんでした。むしろ悲観的な考えになりがちでした。
ギャグはつまらないし、遠まわしな言い方ばかりが続くし、音無くんがあっさり「死んだ世界戦線」になついてしまう理由もイマイチわかりませんでした。
ですが、メルクマールさんの記事をよんでいて、少し考えを改めて鑑賞するようになりましたね。
もしかしたら、自分はなにか偏った見方をしていたのかも…と。理解しがたい部分ばかりに注目して、ちゃんと全体像を掴めていなかった、あるいは無意識のうちにそれを拒んでいたのかもしれません。
つまらないと思ったから、最後までつまらないと言い切ってやるという変な(単純な)意地を張っていたのかもしれません。
けれど、この作品で気づかされることはたくさんありました。
「命」とは何か。「死」とは何か…と言葉にしてしまうと何だか頭がストを起こしそうな、ひどく曖昧で宗教的な題材ゆえに、困惑する視聴者も多かったはずです。
自分の身の周りですでに亡くなった人がいたりすると、やはりこのアニメで描かれる「生」「死」の受け取り方は変わってくるでしょう。賛否両論になりやすいのは、そのせいも含まれると思うのです。
失う絶望・喪失感を知らなければ、理解しづらいアニメであることは確かです。
やっぱり「作品」というものは最後まで観ないと何ともいえませんよね。最終回まで我慢(といっていいのかわかりませんが)してみなきゃ、作品そのものを肯定も否定もできないと思います。
Angel Beats!が終了して数日たちましたが、あんなに否定的だったはずの私もずーっとあのエンディングをひきずっています。
自分のブログに感想を書いているときも、あの終わりを思い出してしまってどうしようもなく涙が溢れてくるのです。
輪廻転生で思い出すアニメとしては私は「神無月の巫女」でした。あれでもラストはパラレルワールドで巡り合うところで終わります。
「神無月」では主人公二人が別れ際に約束を交わしていますが、Angel Beats!の場合はそうではなかったので非常に巡り合う確立は低いはずですが……。愛の力でしょうか?
でも、ケータイを見つめる奏の姿は何だか待ち合わせをしているようにも見えます。
今では、心からこの作品を素晴らしいと称えることができます。
さまざまな伏線も、いくつか残しておくことで余韻が一層増します。
脚本、演出、音楽、映像。すべてに突出したものがありました。点数なんてつけられません。他人との意見が食い違って当然なのですから。
ただ、私はAngel Beats!が大好きになりました。
麻枝さんには「ありがとうございました」と「お疲れ様でした」の言葉をおくりたいです。
メルクマールさんの知識と洞察を織り交ぜたエキセントリックな考察には毎回楽しませてもらっています。
ずっとROM専だったのですが、今回は特に思うことがあったのでコメントしました。長々すみません。
さて本題です。ちょっぴり悲壮なオープンエンディングが特徴の麻枝さんの作品はどれも好きで、Angel Beats!もそれだけにかなり期待度の高い作品でした。LiaさんのOPも相まって、今期の作品の中では1位を争うほど楽しめましたし。
しかし、良作ではあるのですが何か今一つな点があるように途中から感じていました。遠くからぼんやりと見るとすごく巧くできた作品なのですが、近くに行ってシニカルな目で見つめると穴が目につくというか。「理屈よりも感覚に訴えている」っていうのは近いかもしれません。
方々で言われていることですが、尺が足りないのは一つの原因でしょう。あらかじめ尺は提示されているわけで、それに収めきってこそのプロだろうと自分は思うのですが、この作品に関しては確かに2クール必要だと思いますね。だから大勢のキャラクター全員を掘り下げきれなかったり、ギャグにシリアスに詰め込みすぎで感情移入しにくかったりしたのかなあと。
でもこれは裏を返せば密度が濃いということで、だからこそ全体を俯瞰すると面白かったんでしょう。「絶対毎回飽きさせない」という麻枝さんの言葉は見事に果たされていると思います。
最終話、心臓のレシピエントはかなでで、だから名前も”心臓の音無し、人にそれをゆずる”だったのかという種明かしは感動的でした。ですが、その後のラスト、Bパート後半からの音無が残念でした。
これでは「他人を全部消してかなでと二人きりになりたかっただけ」と言われても仕方ないかなあ…と。自分は少なくとも次のどちらかに…などと思ったり。
①音無はこの世界に残って次の人たちを~などと言わずに、かなでに思いを告げて一緒に消える。→Cパート(そのまま)
②かなでは消えてしまうが、それでも音無はあの世界に残る。(EDで独りだけ立ち絵が残る)→Cパートでは例えば、音無の墓参りをするかなで、次にゆりの位置に座ってSSSと似たようなメンツといる音無
①は平凡で、麻枝さんらしくないですね。やはり悲劇的ではありますが、②の方が心にグッとくるものがあったと思います。命を超えた遠距離恋愛です。OPにも適合するものがあったと思いますし(見送った 手を振った よかったねと/ありがとうと)。
(余談ですが、自分は結構OPED歌詞であれこれ予想するのが好きです。外部アーティストに作詞を頼む場合、普通は脚本をアーティストさんに渡したうえで詩を書いてもらうため、歌詞はいわば第三者による断片的ネタバレになる訳です。もっとも、Angel Beats!は作詞が仕掛け人なのでブラフを恐れつつでしたが…w)
さて、ここでメルクマールさんの記事を読みました。やっぱり他人の意見というのは参考になるなあと。「物語のテーマに直結」には脱帽しました。
転生モノではプロフィールの一部(断片的記憶、大切な持ち物、特殊な個人設定etc)が引き継がれるのが定石ですが、この作品は「別の世界」を基盤として、「移植された心臓」を媒質として、メッセージを提示しつつ重たいテーマをファンタジックに描ききったところが評価すべき点なのでしょう。(ちなみに、自分はこの「別の世界」自体はメルクマールさんのように合目的的なものではなく、単なる舞台装置だと考えていました。世界そのものが何であるかに大きな意味はないという点で、麻枝作品の「CLANNADの幻想世界」とイメージは似ているかもしれません。この辺りの説明は後日談でほしいですね)
自分は割と辛口な意見は言わないのですが、面白かったのに色々と思うところがあるのはやはりそれだけ麻枝さんに期待しているからなのかもしれません。こういう風に振り返ってアレコレ熟慮できるのも麻枝作品の魅力なのでしょう。
かなりオススメ!
■エーテライトさんコメントありがとうございます!
「つまらないと思ったから、最後までつまらないと言い切ってやるという変な意地」ってありますよね。わかります。この作品は、ノリが独特だし、突っ込みどころも多数あるので、そういうモードに入ってしまった方は多かったかもしれません。でもエーテライトさんが、僕の記事でABを見直してくれたとしたら、何より嬉しいです。ブロガー冥利に尽きます。
「神無月の巫女」は未見なのですが、生まれ変わってもめぐり合う恋人たち、というのはロマンチックなテーマですよね。この作品は、そういうシンプルなラブストーリーでもあるのだと思えます。
「この世界に残ろう」と言った音無君は批判されているようですが、惚れたのならば、それくらいは言わないと嘘でしょう。来世でめぐり合えるという保証は無いですからね。あのシーンの二人の心境は、いろんなふうに想像できます。劇中では多くは説明されませんでしたが、それでいいのでしょう。いろんな風に想像してほしい、というラストであり、クラナドもそうだったので、麻枝さんの作風なのだと思います。実際、あとを引く終わり方でした。
■シャムシールさんコメントありがとうございます!
僕も、エンディングが流れた時点で、「音無だけがあの世界に残されるのだろうな」と思いました。それはそれでいいなと。
でもCパートを見て、確かにこうでないとダメなのだろうと分かりました。「生まれ変わり」がテーマなのだから、主人公も生まれ変わらなければなりません。また、この作品はラブストーリーでもあり、がんばった音無は恋愛を成就させるべきです。
「この世界が何なのか」は最後まで説明されませんでしたが、クラナドの幻想世界を思わせる部分は確かにあります。あれも死後の世界のようなもので、魂が集まっていて、その集合意識気によって時空を超越した“奇跡”を起こすことができる、と僕は解釈していました。考えてみれば、それとほとんど同じなのかもしれません。光の玉であるかわりに、普通の高校生の姿をしている、という。
”生まれ変わり”も”奇跡”の一つの表れにすぎないのでは。「従順に学園生活をすると消える」といったルールも、誰かが決めたわけではなく、「みんながそう思っているからそうなる」という集合意識の産物なのかな、と思うようになりました。
この作品、いずれゲーム化などメディア展開される気がするので、世界観についてのさらなる説明があるかもしれません。それを楽しみにしつつ、あれこれ想像するのが楽しいのでしょう。機会があったら、世界観についての考察をまとめたいと思っています。