この物語世界での『神』とは、どういうものなのか。いちばんうしろの大魔王 第9話 『とんだお見合い騒動』 の感想です。
また望一郎は「広大なネットワークに漂う知性」と言っていて、それが神のことでしょう。 これらを総合すると、『神』は比喩ではなく本当にコンピュータ(人工的なシステム)なのかもしれません。 最近のSFでは、コンピュータネットワークに偶発的に知性が目覚めて、それが人間を支配する、というテーマがよく見られますが、そのたぐいなのかも。
多神教のように、多くの神様がいるのは、そういう成り立ちであればわかる気がします。知性が同時多発的に偶発的に生まれて、それがネットワーク内でせめぎ合っているのでしょう。そして、それぞれの知性(神)に信者がいて、宗派ができると。
望一郎は、そんなバラバラの『神』を一つに統合するのが目的らしい。そしてそれにはけーなが必要で、それがどういう理屈なのかはまだ分かりません。「自動律」とか「筐体」とか言っていたので(字が正しいかは不明)、要はネットワークに散在している神を、物理的に1箇所に集めて再プログラムする、みたいな話なのかもしれない。
展開が速いし、分からないことが多いし、思わせぶりな伏線(ゆう子と魔獣の関係など)はあるしで、かなりめまぐるしいですが、このスピード感を楽しむものなのでしょう。細かいことは気にしなくてもいいのだと思えます。
ゆう子といえば、藤子不二雄パロディとしては、名前からしてオバQの妹のU子でしょうか。あるいは、アイドルという設定からパー子でしょうか。両方なのかもしれないな。
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メインキャラじゃないのでネタを幾つか寄せてる感じですね
けーなを得たものが最終的に勝利を掴む……のだとして、けーな自身は最初から阿九斗を選んでますよね
出逢った時に「運命の人」と言ったのは、天然だけじゃないのでしょう
服部さんと和解させたり、先輩を連れてきてピーターハウゼンに殺される予見を覆したわけで、守護する者の運命を変えるような能力なのかなぁ、と思ったり
ちょっとだけ世界観を説明します。
まず、”神”というのは阿九斗が言った通り、システムである。
人は神の洗礼受けないとマナ貰いません。洗礼後、人は神の規則を守らないと、マナは縛られる。
黒魔術にも神おける存在がいる、それがピーターハウゼン。正式の神との違いは、ピーターハウゼンは特に洗礼受ける必要がない。また、規則もない、ただ信仰すればいい。
本来は小説2巻、つまりアニメ5話以前説明するものだが、この展開の早さじゃまともの説明ないかもな
ハットリくんの弟のシンちゃん(声:三田ゆう子)かと(ちなみにハットリくんの声は掘絢子)
>ピー助は黒魔術の神
しかし洗礼(クライアント登録)無しで魔術(サービス)が使えるってどいいう理屈なのか?
洗礼用体内ユニットにハッキング仕掛けてるとかか?
阿九斗が教会に捨てられたのも正規の洗礼を受けさせる必要があったからみたいだし
先代の魔王が、現存する魔法のシステムの反対者で、魔法は誰でも自由に使えるべきと考えでいる。
そいう理想から作られたのがピーターハウゼン。そのため洗礼も規則もいらない。
そういえば、ハットリくんには弟がいましたっけね。お固い兄に対してフランクな性格というところが、確かに似ているかも。
けーなは謎ですが、どこか浮世離れしているので、神に近い何か、という感じはしますね。妙にカンが鋭いですし。
■ZAXさんコメントありがとうございます!
原作ネタバレはほどほどでお願いしたいですが、ピーターハウゼンの件は興味深いです。阿九斗が強力な魔力を行使できるのはそのせいなのですね。
”洗礼”とはつまりサービスの会員登録のようなもので、魔王は登録しなくてもアクセスすれば使えるという感じでしょうか。一定の資質は必要なのでしょうけれど。
■ホウメイさんコメントありがとうございます!
洗礼が必要かどうかは、魔力を与える側(神やピーターハウゼン)の都合であって、人間側は、与えられた魔力を使うだけなのでしょう。
回が進むにつれて、神や政府のやりかたが非人道的に見えてきて、魔王のほうがより”人間性”を尊重しているのではと思えてきます。
現状後で纏めるつもりなのか
細かい事は気にするなで流すつもりなのか
軽く触れて説明した気になってるのか判断つきませんから
ちょっと先走ったかもしれません
本来はマナ制御システム→管理サーバー(神)→体内端末(洗礼でインプラントされる)と魔術が供給されるなら
偽造サーバー(ピー助)に置き換えても体内端末は必要なんじゃ?
と思ったんですが
だから端末のソフトに干渉出来るのかな?と
神がサーバーだとして、WebのBasic認証みたいなものを想像しました。サーバー側でパスワード認証を要求しますが、クライアント側は単にWebブラウザ、みたいな。
でも、クライアントそのものが違うのかもしれませんね。魔王の場合は特別なソフトは何も必要としない、オープンなWeb的なものなのに対して、”神”の場合は、何かプロプラエタリなソフトウエアのインストールが必要なのかもしれない。
オープン対プロプラエタリ という対立軸だとしたら面白いです。